「good little day」中島恵代さん

小さなパン屋さんが守りたかった、家族との時間。

「ただいま」と言って家族が帰ってくる。当たり前だけど、日常の中で感じる小さな幸せが、このパン屋さんにはありました。

埼玉県本庄市、都心から新幹線で約1時間のところ。中島恵代(なかじま やすよ)さんが営む「good little day」は、住宅街にあるコンパクトなおうちの中にある、小さなお店です。

扉を開けて店舗に入ると、カゴに入ったパンと、いくつかの雑貨が飾られていました。目に映るものどこを切り取っても絵になる、アースカラーで統一されたデザインの空間でした。

工房の奥から笑顔で現れた恵代さん。今回の取材に快く応じてくれました。

航空会社のCAだった。

今から十数年前、恵代さんはバリバリ働く会社員でした。実は、現在あるスローな暮らしとは程遠く、20代は航空業界のCA(キャビンアテンダント)として国内外を飛び回っていたのです。今でも彼女の凛とした姿が、その面影を感じさせます。

航空業界で働くことは、高校の頃からの夢でした。両親の実家が離れていたため、家族旅行で飛行機に乗る機会が頻繁にありました。子どもの頃からCAさんの丁寧な対応とその姿に憧れを抱いていたのです。

そして、大学を卒業後に国内の大手航空会社に就職。
「サービスと保安に対する厳しさはありましたが、仲間と一緒に成長できることや、お客さんに感謝されることが、とてもやりがいでした。」と当時について振り返る恵代さん。努力家だった彼女がついに手に入れた天職でした。

決断、そして守りたいものがあった。

結婚、そして娘を出産する前のこと。しばらく産休をとっていた恵代さんは、パン教室に通うようになります。きっかけは、とある雑誌で特集されていた天然酵母のパンに魅了されたことから。
「私もやってみたい。」そう思って通い始めたのが天然酵母のパン教室でした。もともとお菓子作りが好きだった彼女は、パン作りにもどっぷりハマります。娘が生まれるギリギリまでパン教室に通っていて、周りの人たちに心配されるほど、パン作りが好きになりました。

ある日突然、会社の事情により、別の空港に移動するか、退職するかという選択に迫られます。娘がちょうど3歳になった頃でした。 当時は、なんとか両親の助けをもらいながら、大阪の空港に勤務していました。
少しずつコミュニケーションができるようになった娘は、同時に子育てが難しくなる年頃でもありました。娘のそばにいてあげたい気持ちもありましたが、仕事を続けると、家族と過ごす時間が十分ではありませんでした。

「娘が『いってらっしゃい』と言っても、本当は行って欲しくなさそうな顔でした。保育園に預けるときは、この世の終わりのように泣かれて。」と、当時の子育ての難しさを語る恵代さん。
本当は続けたかったこの仕事。しかし、仕事で2、3日家を帰らない日もあった恵代さんは、子育てと仕事の両立が難しくなっていきました。手伝ってくれた両親も少し疲れていた様子で、それをみてなんだか申し訳ない気持ちになったと言います。

最終的に彼女が選んだのは、「家族との時間」でした。この仕事をしながら家族と過ごすのは難しいと、苦渋の決断だったと言います。こうして恵代さんは、家族との時間を持ちながら新しい道に進むことを選び、航空会社を後にしました。

家族との時間も、私のやりたいことも。

退職後、今まで仕事に注いでいた情熱が、まるでスイッチが切り替わったように、パン作りに熱中するようになります。大阪から東京へ引っ越し、本格的なパン教室へ通い、製パンの基礎から学びました。最初は初級コースから、気づけば上級コースを卒業。そして、パン屋で働くことを考えていました。

しかし、なかなか見つからないパン屋のお仕事。パン屋の朝は早く、娘の送り迎えの時間を考えると、なかなか条件の会う仕事は見つかりませんでした。
それでも、求人募集の中から1件だけ、パンと焼き菓子の仕事が見つかりました。残念ながらパン部門では専任できず、「ケーキ部門なら」と採用され、将来的にパン部門への転身を目標に頑張っていました。

しかし、そのお店で働き6年が経過。何度かパン部門で働くことをお願いしてみたものの、そこで働くことはできませんでした。
「お店で働くのは難しい。なら自分でやればいいのでは。」と恵代さんの中で、少しずつ自分のお店を持つことを考え始めるようになります。

娘が中学に上がり、家族ではそろそろマイホームを買いたいと話していました。ちょうどおうちの物件を探していた頃、そこでパンを作ることできる工房と売り場を作ることを考えていました。

「パン屋さんをやりたい」という彼女のお願いを、家族は快く受け入れてくれました。日々パンを作ってきた彼女の姿を、家族は見ていたのです。

そして、パン屋さんへ。

マイホームと同時に計画していたパン屋さん。しかし、パンのことはよく知っているけれど、お店の始め方は分からなくて。そこで助けてくれたのが恵代さんの妹でした。

恵代さんの妹はgood little dayの店舗デザインを担当、お店に置いてある素敵なカゴは、彼女の手作りです。他にも名刺、ぬの、エプロン、ドライフラワーなど道具や飾りまで妹が作ったものです。店舗デザインをほとんどは彼女が手伝ってくれたからこそ、恵代さんは工房でパンの製造とレシピ開発に集中することができました。

オープン当初はお店の前に看板を置いただけ、ポスティングなどの告知もせず、勢いに任せてお店をオープンします。
「最初はお客さんは来てくれないんじゃないかって思っていました。それでも、意外にも来てくれて。わかりずらい場所なのに、ありがたいですね。」 と語る恵代さん。現在は地元のリピーターに支えられるようになりました。

カタカナの添加物は使いたくない。

パンの材料はシンプルで無添加のもの、そして、できるだけ地元のものを使用しています。時間と手間をかけて一つ一つ丁寧に作ります。手元にある食材で作るのではなく、作りたいパンを元に、そのパンに合う食材を選びます。

「カタカナで書かれた添加物など、よく分からないものはできるだけ避けたい。」と語る、恵代さん。娘や家族、そして自分が食べてもいいと思えるものだけを使用しています。

本庄市周辺の地域はブルーベリーの名産地。夏の旬の時期にはブルーベリーのパンも用意しています。恵代さんが自ら地元の農家に足を運び、仕入れた無農薬のブルーベリーを使用しています。

お店の近くには、町を見渡すことができる大きな公園があります。花がたくさん咲いていて、晴れていればパンを持ってピクニックに行きたくなるような場所です。地元の風景を見ながら食べるパンは、格別に美味しく感じます。

この暮らしを細く長く続けたい。

閉店直後に突然、お客さんからの電話。PayPayがちゃんと支払われておらず、今から戻りますとのことでした。
「お店側のミスにもかかわらず、わざわざ戻って支払いをしてくれる、そんな優しい方ばかりです。」

工房の壁際から聞こえてくる足音は、娘が帰ってきた音。ドアの窓腰から「ただいま」と顔をのぞく娘に「おかえり」と返す母の顔がそこにありました。

恵代さんは、ずっと続けたかった仕事がありました。しかし、彼女は家族と過ごすために、退職という選択をしました。
自分の好きなことだけでは幸せになれないと気づいた彼女は、いつの間にか、自分のことだけではなく、家族を優先に考えていました。自分のキャリアを捨ててもいいと思える、そんな大切な家族が恵代さんにはありました。

それでも、自分のやりたかったことを諦めたのではありません。恵代さんは自分のやりたいことも、大切な人との時間も、両方手に入れたのです。その行動力と家族に対する優しさ、そして道を切り開く強さが彼女にはありました。

「将来、このお店を大きくしようとは考えていません。この暮らしを細く長く続けられたらいいなと思っています。」と恵代さん。

お客さんや友人、家族には美味しくて安心安全なものを提供したい。そう思うからこそ、多少高くても素材にはこだわります。
売れない日があってもいい、余ったら家族と分ければいいのだから。good little day はそんな軽い気持ちで週に2回営業するお店です。

空を飛び回っていた時代を経て、現在営むのは都会から離れた田舎の小さなパン屋さん。そこには家族と過ごす時間もありました。

good little day | ぐっど りとる でい


埼玉県本庄市栗崎157-11
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