「M teku Bakery」 宮脇淑子さん

人とつながりたくて、ベーカリーシェフへ。

気軽に人とつながりたいけれど、大人になるにつれ、その方法を難しく考えてしまいます。

「都会に行けば、新しい出会いはたくさんある。」そう思っていたけれど、共通の目的がなければ、なかなか人とつながるのは難しい。そう感じていた1人の女性がいました。

東京都多摩市。京王多摩センター駅を降りると、そこは、市街地ではあまり見られない、緑で包まれた空間が広がっていました。街路樹と日陰のある歩道に、心地よいそよ風が吹き抜けます。

住宅街に入ると、地元の人たちで賑わう建物の一角に、宮脇淑子(みやわきよしこ)さんが営む「M teku Bakery(エムテクベーカリー)」があります。
「もっと気軽に人とつながりたい。」そう願っていた彼女が築いたのは、人と人をつなぐベーキングのお店でした。

小さく作られた優しい味のパン。

お店の扉を開けると、木のぬくもりを感じるナチュラルな空間が広がっています。あたたかい暖色のライトに照らされ、手前にある台には丁寧に梱包された、たくさんの種類のパン。どれにしようかとお客さんは悩みながらパンを選びます。また、奥の工房からは焼き上がったパンの香りがただよい、食欲をそそられます。

M teku Bakery のパンは少し小さめに作られていますが、バリエーションが豊富です。
「うちの子は野菜が苦手なのに、ここのパンは大好きなんです。」とお客さん。中でも、ほうれん草を使用したパンが大人気です。他にもにんじん、トマト、コーン、えだまめなどを使用したパンもあります。野菜を使ったパンは子どもたちにも好評です。

お客さんのほとんどは周辺に住む地元の人。老若男女、このお店に訪れます。家族連れがメインですが、最近は若い人も。リモートワークの時代だからこそ、持ち帰っておうちで食べられるパンは、便利でお昼にはちょうどいいのかもしれません。

M teku Bakeryのある建物には屋根がついていて、お店の前にはベンチが置いてあります。雨が降っても雨宿りができるこの場所を、将来はカフェスペースにしたいと淑子さんは考えています。

大学で研究をしていた。

淑子さんは幼い頃から数学が得意で、自ら手を動かして考えることが好きでした。目の前のことに夢中になる性格だった彼女は、理系の大学を卒業、その後も大学に残り、研究に携わっていました。

「昔からものづくりが大好きで、娘のための衣装や、段ボールでおままごとキッチンを作ったり、自分で作れるものはなんでも作っています。また、私の母も手芸をしていて、幼い頃からその姿を見てきました。母の影響かもしれませんね。」と淑子さん。
ものづくりが好きだった淑子さんは研究の道へ進むものの、幼い頃から「自分のお店を持つ」という夢を描いてきました。それはお菓子屋さんだったり、小料理屋だったり、ペンションに憧れたこともありました。
また、当時から料理やお菓子作りもしていました。家族や友人に自分が作った手料理や焼き菓子を食べてもらい、「おいしい」と言ってもらえる喜び、そして、そこで生まれるたわいもない会話に幸せを感じていたのです。

結婚と出産を期に、新しい領域で仕事がしたいと思い始め、大学を離れることにしました。また違う領域の大学に行き直そうか、全く違った業種に就職しようか、当時は色々と自分の将来について考えていたと言います。
ちょうどその頃、パン屋さんやカフェ巡りにハマっていて、自分のお店を持つという幼い頃からの夢を思い返すようになりました。そのお店の雰囲気や空間デザインに魅了され、「私ならこんなお店を作ってみたいな」と、色々と妄想を膨らませていました。

人とつながるのが難しかった。

「もともと人見知りで、誰でも声をかけられるタイプではないんです。」と、恥ずかしげに語る淑子さん。当時九州に住んでいた彼女は、現在の住まいに引っ越してからのこと、なかなか新しい友人を作るのは難しかったと語ります。

「人とつながるのは、何か目的がないと難しくて。それなら、私が人とつながる目的を見つけないとと思って、そこで色々と習い事を始めてみたんです。」

人とつながる目的を見つけるために、手芸、ゴスペル、パン教室など都内の習い事を転々としていました。もともと焼き菓子作りが好きだった彼女は、のちにパン作りにハマり、ここからお店をオープンする物語が始まります。

パン作りの研究がはじまる。

ちょうどカフェを開くことに憧れていた淑子さんは、習い事の中でも特にハマったのがパン、お菓子作りでした。都内のスクールを探し始めてから、気づけばパンやお菓子、グルテンフリーに関する資格を取得するほどに。

大学の研究と、パン。全く違うように思えて、実は似ています。研究熱心だった彼女は、パン作りに欠かせない「発酵」に魅了されました。パンは勝手に膨らむものではありません。そこには歴とした科学的な理論があるのです。
「パン酵母は湿度や気温によって機嫌が変わり、まるで子どものようです。」と語る淑子さん。研究職に勤めていた彼女にとって、パンも科学的な視点からみて「なるほど」と思う面白さがありました。こうして、「パン作り」という新しい研究が始まったのです。

作る楽しさと、人に食べてもらう喜び。

「何か気軽に人とつながることができる方法はないだろうか。」と当時パン作りに夢中だった淑子さんが思い付いたアイディアは、パン教室でした。

「それは、本格的なものではなくて。ランチ代わりにみんなで楽しく作って食べる、お友達と一緒に遊びに来る感覚で参加してもらえるような、そんなゆるいパン教室です。なんでもいいから、人とつながりたいと思って始めたんです。」と淑子さんは語ります。パン教室の生徒さんは、本気でパンを学ぶ人というよりも、淑子さんに会いにきておしゃべりをする近所の人たちでした。

ところが、ゆるく始めたパン教室から、パン屋さんへの道が少しずつ見えるようになります。生徒さんや友人たちに試食でパンを配っていたところ、「おいしい!」と感動され、あっという間に「購入したい」と言うファンが増えたのです。 こうして、幼い頃から描いていた夢、自分のお店を持ちたいという気持ちが少しずつ強くなっていきました。パンを作る楽しさと、パンで人とつながる楽しさ。そしておいしいと言ってもらえることが喜びとなりました。パンを作ることに夢中だった彼女は、いつの間にか、誰かのために焼くパンを考えるようになりました。

家族の支え、そしてオープン。

淑子さんは、もともとパン屋さんをやりたかったわけではありませんでした。当初は、焼き菓子やパンなど、ベーキングのもの全般を取り扱うお店、ベイクショップのお店を開こうと考えていました。
「現在も自分はパン屋さんだとは思っていなくて。でも、成り行きでパン屋さんとして認知されてしまったんですよね。」と笑いながら語る淑子さん。パンにこだわりがあったわけではなく、ベーキングを通して人とつながることができる場所を作りたかったのです。

物件探しを始めて最終的にこの物件に決めるまでには、いくつもの不安や壁を感じていました。100%やれると確信するまで挑戦できない、慎重かつ丁寧な性格だった彼女は、住宅周辺でお店を開くのに良さそうな物件を探していました。

ここは素敵なお店が作れそうかもしれない。
ここはお客さんは来るだろうか。
ここは家から近くていいな。

マップに印をつけながら、それを眺めて「私にはどんなお店ができるのだろうか」と日々考えていました。淑子さんの中で広がる夢。それを家族も知っていました。

最終的にお店をスタートするきっかけを作ったのは彼女の家族でした。
「絶対にうまくいく。お店をオープンできると思う。」と、家族の励ましの言葉が、少し躊躇っていた彼女の背中を押したのです。

店舗のほとんどはDIY。

お店を始める前、ここはスケルトン物件だったため、壁や設備など何もない状態からスタート。現在のような店舗に仕上がるまで、そこそこお金がかかったように見えますが、実は店舗のほとんどは手作りです。ものづくりが好きだった彼女は、パンが置いてある台、椅子、壁など、自分で作れるものは全て手作り。淑子さんの夫にも協力してもらい、夫婦で店舗を仕上げました。何もなかったこの物件は、彼女のDIYによって、木のぬくもりを生かしたデザインの素敵な空間になりました。

壁にはいくつかのパンの写真が飾られています。これは淑子さんの娘が撮ったものです。
「写真を撮るのが大好きな娘が、母の日に私にプレゼントしてくれたんです。」と語る淑子さん。その姿は、家族に支えられている様子が伺えました。無機質だったコンクリートの壁も、素敵な写真を飾ることで一気に華やかになりました。

「パンとお菓子の美味しそうなにおい、並んだそれらを選ぶワクワク感、お店に入った瞬間から楽しんでもらえるといいな。」と淑子さんは語ります。

喉ごしの良いパン。

淑子さんが大切にしている ”おいしいパン” の定義が喉ごしの良いパン。焼き立てがおいしいのはもちろんですが、時間を置いても味を保つのは難しい。生地にはできるだけ水分を保有させ、老化と乾燥を防ぎます。素材は国産の小麦粉と野菜、どの家庭にもあるようなシンプルな材料で作ります。

「家族の評価は厳しいんです。主人と娘が納得するパンを作るのが一番難しい。」と苦笑いの表情。研究を重ねて喉ごしの良いパンを追求して行った結果、自然とシンプルな材料になっていきました。

こんなはずじゃなかったオープン当初。

こうしてやっとスタートしたお店。
「パン教室の生徒さんや友人が最初のお客さんとなってくれればいいな。」「少しずつ積み上げていこう。」と、そんな軽い気持ちで始めようとしていたお店は、オープン直後、お店の前には彼女の想像を超える長蛇の列がありました。
オープンから3ヶ月はとにかく忙しく、体の疲れも気づかないほどに多忙の日々を過ごしました。お客さんと話せる時間はもちろんなく、また、パンと向き合える時間もありませんでした。
お店の営業に追われる日々。時にはパンが失敗してしまって大量に廃棄したこともありました。
「なんでカレーパンや惣菜パンは置いていないんだ」「こんなに待って並んだのに、パンがない」とお客さんの不満の声もあり、無理難題に強いられてきたオープン当初。それに耐えながらも、時には「これが本当に私のやりたかったことなのだろうか」と後ろ向きになることもありました。

それでもお客さんは待っていた。

「忙しいあまり、当時は家族にも不満をこぼしていました。」と恥ずかしそうに笑う淑子さん。しかし、それを乗り越えると、少しずつ彼女の理想の形へと近づいてきました。お客さんの列もようやく落ち着いてきて、パンと向き合う時間やお客さんと交流する時間が増えたのです。最初は言いたい放題だったお客さんも、少しずつお店のコンセプトを理解しはじめ、支えれくれるようになりました。

やっと入れた!と、何度並んでも買うことができなかったお客さんが、ようやく入れるようになり、パンを買うことができるようになりました。お客さんはずっと、どんなお店なんだろうと楽しみに待っていてくれたのです。

オープンから1年、少しずつ常連客が増えました。近くのスーパーで買い物ついでに立ち寄るお客さんなど、毎週訪れる人にとって生活の一部となっていきました。店内のお客さんとの会話も増え、お店を持つことで、淑子さんにとって普段出会うはずのない人たちとのコミュニケーションの輪が広がったのです。

パンでつながる、新しい出会い。

淑子さんは今でもパン屋さんにこだわっているわけではありません。カフェもやりたいし、お菓子ももう少しおきたい。コロナが少し落ち着けば、イベントを開くことも考えています。
「先日も、野菜ソムリエの方とコラボしてパンを作ったんです。」と写真を見せる淑子さんの姿は、新しい挑戦で満ち溢れている様子でした。 彼女にとってこのお店は、人とつながる目的の一つ。パンを通して、たくさんの友人や仲間ができたと語る淑子さん。
「おいしかったよ。ありがとう。」とお客さんの言葉が、彼女にとってこの上ない幸せなのでした。

「パンを買いに来る。この目的だけあれば十分です。普段交流するはずのない人たちがお店の常連さんとなってゆき、いつしか、知り合いから友人になっていったら面白そう。そんな場所になったらいいな。」と淑子さんは語ります。

M teku Bakery は、ただパンを買う、それだけではありません。気軽にテクテクと人が集まる ”場所” でありたいと、淑子さんは願っています。立ち寄るきっかけは買い物のついでかもしれません。それでも、普段出会うことのない人たちとの交流が、そこで生まれるのです。

人とつながるのが難しかった淑子さんが、彼女なりの方法で人とつながる目的を見つけ、パンで人を幸せにするのでした。

M teku Bakery | えむてくべーかりー


東京都多摩市鶴牧5-1-1-105
(アクセス:鶴牧商店街内)
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