名もなき先人たちへの敬意
北海道・十勝本別町の負箙(オフイビラ)地区。地図に小さく名前が載るその場所に、「オフイビラ源吾農場」はあります。篠江康孝さんが2013年から有機農業を始めたこの農場には、多くの先人たちへの想いが込められています。
「“負箙(オフイビラ)源吾”というのは、昔この土地で生きた先人の名前です。でも、実際は名前すら記録に残らない人たちのほうが多い。ここには、名もなき人たちが確かに暮らし、働き、土を耕した歴史がある。そのことを忘れたくなくて、この名前を農場につけました。」
冷めた視線から始まった挑戦
帯広の農業高校を卒業し、18歳で家業を継いだ篠江さん。「自信をもって、農業後継者になる同級生を見てまぶしく思っていた。篠江さんはそんな同級生を見て、流されて跡を継いだ」と言います。しかし、その気持ちは次第に変わっていきます。
「自分の周りには、有機農業なんてやってる人はいませんでした。でも、“やってみたい”とは思っていたんです。」
きっかけは明確ではなかった。40歳を過ぎた頃、心の奥で、「このままでいいのか」という問いが、彼を突き動かしていたのかもしれません。
失敗と転機
そんな時、転機が訪れます。有機小麦、大豆栽培に成功している農家『中川農場』の存在を知り、直接話を聞きに行ったのでした。
「畑を見た瞬間、衝撃でした。堆肥も有機肥料も使わず、あんなに美しい畑が広がっていた。自分の“有機農業”に対する考えが根本から覆されました。」
“有機農業”とは特別なものではない。余計なことをせず、シンプルに土の力を引き出せばいい。その気づきが、篠江さんの農業人生を変えました。中古のコンバインを100万円で購入し、少しずつ、しかし確実に畑は応え始めました。
挑戦は順調な滑り出しでした。しかし有機農業を始めて5年を過ぎたころ2年連続の失敗による大豆の不作。有機農業は続けられないかもしれないと思いました。
「もう後がない。来年ダメなら終わりだって思いました。」
有機に取り組んで、中川さんの技術に自分のこだわりを取り入れたことが失敗の要因と気づく。自分の浅はかな考えで変えてはならない。中川さんの技術の奥深さを思い知り、中川さんの技術を見返し、もう一度まねることに。すると次第に収量が安定して行きました。
「たくさんのことを試しては失敗して。でも、それが今では全部、自分の血肉になっています。」
自然と向き合う農業
3年1サイクルの輪作体系を組み、大豆・緑肥・小麦(クローバー間作)を組み合わせた土壌づくりを行っています。外部からの資材投入をしない、緑肥だけで土を育む圃場にも挑戦中です。
「自然栽培も良いけれど、自分は地域にある資源を使用する方が意味があると思っている。本別は乳牛の育成が盛んです。そこで産出される堆肥を“環境負荷を最小限”に投入しています。」
作物を育てるのは土。畑に立つたびに、土の匂い、風の音、空の広さを全身で感じる。それが篠江さんの日常だ。季節ごとに表情を変える畑は、まるで生き物のようだと言います。
地域と繋がる農業
有機農業に取り組む以前から、篠江さんは地域との繋がりを大切にしてきました。町会のゴミ拾い、草刈り、地域行事には積極的に参加する。しかし、有機農家はこの町には他にほとんどいない、孤独です。その中で、少しずつ地元の人たちにも“変わり者の農家”として認められていきました。
「有機栽培にしてから、お客さんが直接農場に来るようになりました。パン屋さんやパン教室の先生、一般のお客さんまで。“顔が見える農業”になったと思います。」
訪れたお客様に麦畑を案内し、自分の言葉で育て方や想いを伝える時間。それはいつしか、篠江さんにとって「農業の喜び」となりました。
「農協や集荷業者に出すだけでは、食べる人の顔が想像できません。原料となるものが主なので今までは食べ物を生産している意識が足りなかったと思う。だから自分でも売ることを選びました。」
農場の敷地には、いつの間にか住み着いた一羽の野生のうさぎもいます。小さな訪問者は、いつしか農場の“仲間”のような存在となったといいます。季節ごとに姿を見せたり隠れたりするその姿に、篠江さんはほっと癒される瞬間もあるのだとか。「あいつはうちの“看板うさぎ”ですね」と笑う篠江さん。自然と共にある日々は、思わぬ小さな出会いも運んできます。
自給率向上への願い
慣行の農業をしていたころは、「食糧自給率を上げる」といったところで肥料や農薬を輸入に頼っている現実がある以上、意味のないことだと思っていました。
有機農業を十数年行ってみて今想うことがある。日本は自然に恵まれた国だ。豊かな四季があり、森、川、海がある。もしかすると、この豊かな自然の恩恵を生かせば、有機農業を通して「日本の自給率を高められる」というのが、篠江さんの今の夢です。
「畑さえあれば生きていける。それを実証して、日本の農業を変えたい。」
だが、その理想には現実の壁が立ちはだかります。有機農作物はまだまだ高価で、収量も低く、届けたいはずの子育て世代には手が届かない。供給量を増やせば価格は下がるが、挑戦する農家は増えないといいます。
「町内には自分より技術のある農家さんがたくさんいるんです。畑の隅でいいから、一度やってみてほしい。きっと自分より優秀な有機農業者になります。一歩踏み出せば世界は変わるから。」
そして今、篠江さんは次の夢を描いています。自分の農場を見学できる場所にし、もっと多くの消費者や子どもたちに“土に触れる体験”を届けたいというのです。
名もなき未来へ
篠江さんの農場は、誰かに教えを請い、誰かに背中を押されながら育まれてきました。そして今、その背中は次の誰かを静かに押しています。
「オフイビラという地名は、いずれ地図から消えるかもしれない。でも、自分がここで農業をしていたという“記憶”は、誰かの中に残ってほしい。」
名もなき先人たちの足跡を胸に刻み、名もなき未来の誰かに想いを繋ぐ。篠江康孝さんの挑戦は、十勝の大地の中で今日も静かに、しかし確かに続いています。
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オフイビラ源吾農場 キタノカオリ クラフト小麦粉 | シングルオリジン 北海道本別町 「自然の力を借りて、この土地ならではの風味をお届けしたい」と語る篠江康孝さん。化学的な力に頼らず、手間を惜しまぬ栽培を重ねて育てられた一粒ひと粒には、自然と真摯に向き合う想いが込められています。 |