「Plume」若山羽蘭さん

北海道ニセコの空の下、家族と小麦とパンと。

北海道ニセコの豊かな大地に、静かに佇むパン屋「Plume(プリューム)」があります。目の前には羊蹄山、風にそよぐ小麦畑のそばに立つそのお店は、まるで絵本の中から出てきたよう。ここでパンを焼いているのは、三人の子どものお母さんでもある若山羽蘭(わかやま うらん)さんです。

パンの小麦粉は、夫・若山和也さんが育てた「キタノカオリ」。夫が小麦を育て、妻がパンにする。「理想のかたちですね」と羽蘭さんが微笑みながら話すその姿に、この場所の幸福な循環がにじみ出ていました。

北海道・ニセコ。

羊蹄山のふもとに広がる大地を車で走っていると、しだいに視界に入ってくるのは、季節の色を抱いた畑と、ゆるやかにうねる丘のライン。真っすぐに伸びる道には、信号も看板もほとんどない。だからこそ、空の広さや雲のかたち、風の流れに自然と目が向きます。季節によって、芽吹いたばかりの若い緑、風にそよぐ黄金色。どの景色にも、手のひらから伝わる営みの温もりがありました。

やがて道は細くなり、森の縁をかすめるように曲がっていきます。ゆっくりと車を進めていくと、ぽつんと現れる小さな建物。濃い茶色の壁に、緑の木の扉、そっと掲げられた控えめな看板。そこが「Plume」です。

扉を開けると、ふわっと広がる香ばしいパンの香り。静かなキッチンの奥から、笑顔で迎えてくれる羽蘭さんの姿。一瞬で、日常のあわただしさがほどけていきます。

パン屋になること、それが夢だった

羽蘭さんの出身は、ニセコのすぐ近く、倶知安町。パン屋になるという夢は、子どもの頃から抱いていたものでした。高校の製菓コースで基礎を学び、札幌の専門学校にて国家資格である製菓衛生師を取得し、パン作りの道を歩みはじめます。

札幌のパン屋に就職し勤めていましたが、途中ホームシックになり地元へ戻ることを決意。心に決めていたのは、「いつか自分のお店を持ちたい」という想いでした。

“帰る”という選択、そしてカフェとの出会い

地元へ戻る決意をした羽蘭さんは、「すぐにパン屋を開くのではなく、もっと自分の幅を広げておきたい」と考え、倶知安町のスキー場内にあるカフェで働くことにしました。観光客や地元の人でにぎわうカフェで学んだのは、エスプレッソ、コーヒーの抽出技術、ラテアート。それは、自分にとって好きで楽しいこと。羽蘭さんは次第に自信を育んでいきました。2年間のカフェ勤務で習得したコーヒーの技術を、いつか自分の店でも提供したいと語ってくれました。

「実は、和也さんと結婚するときに“パン屋をやらせてくれるなら結婚してもいいよ”って言ってたんですよ」と、羽蘭さんはチャーミングに笑いながら話します。でもその言葉の裏には、夢を諦めたくないという強い意志があったのだと思います。

子育てとパンのあいだで

三人の子どもを育てながらのパン屋開業は、想像以上に大変だったそうです。夜中、子どもたちを寝かしつけた後にパンの仕込みをしようとすると、「どうして一緒に寝てくれないの?」と泣かれて作業が進まないことも。

開店準備は時間との戦いでした。オープン日が近づいても準備が追いつかず、「もう無理かもしれない…」と泣いた夜もあったそうです。

それでも、彼女は立ち上がりました。「Plume」のドアが初めて開かれた日、ご近所さん、SNSで見た方、ニセコに別荘を持つ常連さん、外国からの旅行者……たくさんの人たちが、羽蘭さんのパン屋を訪れてくれました。

「外国のお客さんって、表現が豊かなんですよ。店頭に並ぶパンを見て『Beautiful!』って目を丸くしてくれるんです。その言葉だけで、眠れなかった夜の疲れがふっと消えます」

地元とつながるパンづくり

Plumeのパンには、和也さんの農園で育てたキタノカオリが使われています。しっかりとした味わいと、香ばしさ、そして食べたあともふわっと残る甘み。その風味は、羽蘭さんのパンと絶妙に合わさり、まさに唯一無二。

また、近所の農家さんの“ハネ野菜”(規格外野菜)を使ってサンドイッチを作ったり、なるべく地元の素材を使うことを大切にしているそうです。

今は、育児と両立しながらの営業のため、週に木曜・金曜の2日だけのオープン。でもその2日間を、羽蘭さんは心から大切にしています。

出会いがつなぐ輪

ニセコに移住した当初は、知り合いがほとんどいませんでした。それでも、イベントへの出店を通して声をかけてもらい、少しずつ人とのつながりができていきました。

「同じようにお店をやっている人と、悩みを話し合えたのがすごく救いでした。情報を共有したり、お互いを応援しあえたり。イベントに出てよかったなって、心から思います」

今ではパンを通して、たくさんの人と出会えることが、何よりの喜びだと言います。

幸せがパンにあらわれる

店内には、クロワッサン、シナモンロール、アンバター、デニッシュ、バゲット。どれも丁寧に並べられ、パンというより贈りもののよう。すべてに羽蘭さんの“想い”が詰まっています。Plumeのパンは、見た目も香りも美しく、どれを食べても心がふっとやわらぐ味わいです。

すぐそばの小麦畑で生まれた実が、こうして姿を変えている。そんな不思議なめぐりを感じながら、手のひらでパンのあたたかさを確かめたくなります。

しあわせは、根を張るように

「どんなお店にしていきたいですか?」と尋ねると、羽蘭さんはまっすぐに答えてくれました。

「続けていくこと。今はそれが目標です」

その言葉は静かでありながら、とても強い意志を感じさせました。和也さんと笑顔で話す羽蘭さんの姿は、まるでこの土地に根付いたひとつの木のようで、穏やかで、あたたかくて、そして力強くもありました。ふたりの幸せのかたちが、パンに現れている。そう思わずにはいられませんでした。

物語を焼くパン屋

Plumeのパンは、パンでありながら物語です。家族の想い、小麦の香り、子どもたちの声、出会いの温度。すべてが詰まった小さなひと口が、食べる人の心にやさしく届いていきます。

帰り道、紙袋からふんわりと立ちのぼる香りが、車内を満たしていきます。パンを買いに行ったはずが、いつの間にか、やさしい旅をしていたような気がして、 またあの道を通って会いに行きたくなるのです。

きっとまた、あのパンに会いに行きたくなる。そんなお店が、ニセコにあります。

Plume | プリューム


北海道虻田郡ニセコ町
▶︎ Instagram