雲を食べてみたい。口に入れたらどんな味や食感なのだろう?――。
そんな空想をしたことがあるなら、栃木県日光市にある「白もくパン」へ行ってみてください。風間史乃(かざま・しの)さんが、夫・慎也(しんや)さんと二人三脚で営むベーカリーにあるのは「ふかふかの、子供が描いた雲のような」パンの数々。国産小麦とバター、それと日光連山の清冽な湧き水。牛乳、卵、マーガリンは一切使わない。引き算の美学で限りなくミニマイズされたパンは、「ひとりじめしたい」と評判です。
日光のおいしい水が生み出す「白い雲」
「白もくパン」の店舗での販売が始まったのは2021年4月。慎也さんの営む美容室の裏手を改装して作った店舗に、史乃さんが丹精を込めて作ったパンが並びます。
看板は慎也さんの手作り。混雑緩和のために待機する位置を示す店前の目印には、手書きの雲がチョークで描かれています。現在の営業は毎週日曜のみで、午前10時のオープンと同時に常連さんが「もうやってます~?」と、来店し始めました。
以前から趣味でパン作りをしていた史乃さんは、2018年に「白もくパン」をスタート。会社勤めの傍ら、催事や地域コミュニティのマルシェへの出店や、ホームページを通してパンを販売してきました。
「当初はベーグルを作っていましたが人気が出ず、夫のアドバイスで食パンを作り始めたのがはじまりです」と、史乃さん。
「食パン作りは全くの初めてで、スタンダードな作り方を調べて同じようにやってみようと、シンプルに考えていましたが、最初から“牛乳と卵は使わない”というこだわりは持っていました」
慎也さんが続けます。「日光は水がうまくて、厨房がある自宅も地下水を引いているんです。なので、その水を活かしたいなって。体に悪いものはなるべく入れず、シンプルにうまいものを作ってみたらどう?と、提案した。そしたら一発目からものすごく美味しいのができちゃった」
「食べたことのないような、雲のような……それで『白くもパン』と名付けようとしたら、日光エリアにすでに同名の喫茶店があったので『白もく』にして。山の中にある厨房が周りを木に囲まれているのと、雲のもくもく感も引っかけて、ね」
合わせる食材を邪魔しない 白米のような懐の広さ
「白もくパン」が目指すのは「ごはんのパンバージョン」。
慎也さんが説明します。「日本人の食事のベースには常にお米があるじゃないですか。それのパンバージョン。なんにでも合って、そのまま食べても、焼いてもうまい。だからこそ一緒に食べる素材を引き立てられる。そういうイメージのパンを作りたいねって話しています」
そんな2人の思いを最も体現しているのが、定番の「わた雲」(650円)です。国産小麦、バターとてんさい糖に日光連山の水で焼き上げられた食パンは、お子さんの離乳食として買っていくお客さんもいるほどのピュアさ。また、シンプルだからこそ、好きな食材を合わせることのできる奥行きが生まれるのだといいます。
「わた雲」を柱に据えつつ、お客さんが飽きない工夫も凝らされています。
「わた雲」に生クリームと蜂蜜を加え、しっとり感が増した妹分「わた雲の夢」(900円)は、ファンからは「口に含んで噛んでいるとはかなく消えちゃう」と、大好評。
食パン以外では、クーベルチュールチョコレートのガナッシュとパフチョコの2種のチョコの食感の違いが楽しい「2GE(とげ)」や、普通のベーグルとは一味違う“ベーグルのようなもの”「白くも」、そのままでもリベイクしても野菜などを挟んでもおいしいフォカッチャなども店頭に並びます。
これらのパンはいずれも、季節や合わせる食材の旬を踏まえ、絶えずマイナーチェンジし続けているそうです。
地域に根付いた店だからこその、地元老舗店とコラボレーションしたパンもラインナップされています。「老舗店で扱う食材をメニューに取り入れたくて、飛び込みで『こういうのが作りたいんです』って挨拶して、教えてもらったりもしました」
その成果の一つが、毎週金曜日に東北自動車道上河内SA(上り線)でのみ限定販売している「白ゆき雲」と「白雪雲」。「わた雲」をベースに、「白ゆき」は糀、「白雪」は糀に加えかすかにわかる程度の隠し味として味噌が使われています。
使用している糀、味噌は市内の老舗・野州吟醸味噌蔵元本店のもの。「なんで糀を入れるかというとね……、糀によって香りと味が変化して、あまーく、ジャムのような香りがしてくるんです」と、2人が教えてくれました。
新たな日光土産の定番にしたいという、花の形をした「日光糀(はな)パン」も看板商品です。訪れたタイミングでは、定番のあんこのほか、季節限定のいちご、甘く煮た柚子ピールの3種類が“咲いて”いました。
柚子ピールは、慎也さんの美容室のお客さんでもある和食の板前さんが毎年作るものを使っているとのこと。「髪を切っている間にお客さんからパンの感想もたくさんいただけて、勉強になる」と、慎也さんは語ります。
「いかに素材を活かし、国産を使い、それでいて単価を上げないようにするか。食べた人の好みはぼくたちが決めることじゃないけど、自分たちに感覚、味覚が似ている人たちが支持してくれているんだと思います」
地道な努力が実った「パン祭り」
ローカルなマルシェなどで積み重ねた口コミやSNSのリアクションから、徐々にファンが増えてきている手ごたえを感じ始めていた2019年10月、宇都宮市にある百貨店で開かれた催事に参加しました。
「県内で人気のパン屋さん30店近くが一堂に会する人気イベントで、『初出店はあんまりお客さん来ませんよ』と周囲には言われていて。初出店なのもあり会場入り口に一番近い、導線の悪い場所にブースを出したんです」と、2人が振り返ります。
その時見た光景を思い出し慎也さんが笑います。「ところが、催事がオープンしてすぐ、一度持ち場を離れて戻ってきたら、入り口に100人くらいの行列ができてたのよ。『すげーパン屋があるなあ』と思って、列をまとめるスタッフの人が持っているプラカード見たら『白もくパン』て書いてあって。『これ、どういうこと』て妻に聞いたら『わかんない』て」
開始30分ほどで用意していたパンは完売。その場で百貨店の催事担当者から声をかけられ、食品フロアでの1年間のブース設置と、「白もくパン」単体での催事の打診を受けました。いずれもが無事成功に終わり、県内での認知度をさらに高める結果となりました。
ベーカリスタへ 背中押した「幸せの象徴」
史乃さんが会社勤めを辞め「白もくパン」にキャリアを絞ったのは2020年2月のこと。人生における大きな決断を後押しする出来事にも、「百貨店での大人気」にも、「一つ心当たりがある」と、2人は話します。
「座敷わらしが出ることで有名な旅館が福島県にあって。『もし会えたら仕事を辞めよう』と思って2人で泊まりに行ったんです」と、史乃さん。
仕事を辞めてパン一本で勝負をするのは、勇気がいること。何かきっかけがほしい――。そんな気持ちを抱いて、座敷わらしが遊べるようにと、紙風船を買って旅館を訪ねました。
「寝る前、部屋に置いてあった紙風船がスーッと動いたんです」。室内に風はなかったし、壁や障害物もないところでピタッと止まったので、風だとしても不自然。真偽のほどはさることながら、幸せを呼び込むという存在を感じ取れたことは、史乃さんの背中を押すには十分だったようです。
「そう考えたほうが楽しいから」2人ともこの不思議な経験を信じているそうです。
シンプルだからこその、素材へのこだわり
「ベイクマ」は、史乃さんがInstagramでたまたま存在を知り、サンプルを取り寄せてみたところ「小麦粉と水の相性がすごく良かった」ので、利用するようになりました。
「同じ品種の小麦粉でも、会社が違うだけで合わなかったりします。同じ品種・同じ北海道産でも、地域が変わるとそのバランスもまた変わったりして。ベイクマさんの小麦はうちの水と一発で『決まる』って感覚がありました」
史乃さんのこだわりは強く、粉と水が合わないと「ものすごいストレスで、眠れないときさえある」のだそうです。
「粉と水の相性の良さが安定しているのと、急な注文に対応してくれる柔軟さがありがたいです。担当の方の心配りや人柄が見える、というか。そういう付き合い方って、他のメーカーさんでは中々できないと思います」
「白もくパン」では小麦粉は主に「春よ恋」と「タイプER」の2種類を使用。そのほかに全粒粉も愛用しています。
おいしくて、口に入れたら安心できるパン
史乃さんの差し当たっての目標は、お店をより充実させていくことと、現在週1日の開店日を増やすこと。「平日しか来られない方もいるので、できれば週にもう1日、平日に店を開けたいんです」。
もう少し先の目標は「自宅をパン屋&カフェにすること」だと、2人とも口を揃えます。
食べ物には、おいしい/まずいの味の尺度だけではなく、食べたときの安心感のようなものも存在します。
大げさに言うと柔らかく包まれるような感覚というか、あってよかったーって落ち着くような、そんなパンを今後も作っていきたい――。店舗販売も始まり、改めて2人は思います。
「やっぱり、おいしくて良いものに人はお金を出してくれるでしょ。大量に生産するという点では大手には勝てない以上、目の届く範囲で、こだわりを持って作っていくことが大切なんじゃないかな」
(文・写真 清水泰斗)
白もくパン | しろもくぱん 栃木県日光市瀬尾47-16 |