生地に卵を使用せず、最低限の素材のみで作られる、からだに優しいパンが人気の「粉歩(こぽ)ベーカリー」。富山市経堂(きょうどう)の一角で、水・木・土・日の週4日営業しています。
すべてのパンには、国産小麦を使用。素材の良さを生かしたふんわり優しい味わいが特徴です。思いやりが詰まったパンへのこだわりを伺いました。
国産小麦を使用した安心パン
富山市経堂の交差点から少し入った、ショップが立ち並ぶ一角。その中のひとつに、小さなパン屋「粉歩ベーカリー」があります。ドアを開けると出迎えてくれるのは、約30種類ほどのパンと、優しい笑顔の店主、種田江里奈(たねだ えりな)さん。
小ぶりのかわいらしいパンをはじめ、種類豊富な食パンなどが並びます。
中でも人気なのは、コロンとしたフォルムがかわいい「まるパン」。プレーンやココア味、レーズンや黒糖くるみなど、味のバリエーションも豊かです。「ひとりでも、いろんなパンを食べられるように」という想いを込め、少し小さめにしているのだそう。
パンには、すべて国産小麦を使用。小麦の香りと共に、噛むほどに優しい甘さが口の中に広がります。
使っている粉は、ほとんどベイクマから取り寄せたものだそう。スペルト小麦やライ麦の全粒粉、国産小麦の一部などを購入しています。
ベイクマを知ったきっかけは、「小規模パン屋」「問屋」をキーワードに、インターネットで検索したことから。
「ベイクマさんは、最初から対応が丁寧だったんです。はじめにサンプルを送ってきていただいた時から、感動の連続でファンになりました。また、自分の作りたいプレーンパンに合うお粉がたくさん揃っていたこと、小さなお店でも助かる適量な粉を取り扱っていたのも魅力でした」
体に優しい、思いやりに溢れたパン
パン生地には卵を一切使っていないという種田さん。その理由は、とある小さなお客様が来店されたことがきっかけでした。
「ある日、4歳くらいの男の子が『僕の食べられるパンはどれ?』と母親に聞いていて。どうやら、卵アレルギーを持っているようでした。それを聞いた時に胸がすごく痛くなって。その子でも食べられるパンを作ってあげたいなと思ったんです」
まずは男の子が好きだというメロンパンを、卵を使わずに作ったという種田さん。
「その子が、再度訪れてくれたときにメロンパンを見て『僕の食べられるパンがある!』と、目をきらきらさせながらとても喜んでくれたんです。その言葉は今でも忘れられません。
それからは、なくても良い材料を抜くようになりました。今では、お店にあるほとんどのパンに不要な材料は入っていません。どうしても必要なものだけ残すようにしています」
卵を抜いたメロンパンをきっかけに、乳製品やバターを使っていないパンも多く並ぶように。砂糖は、きび砂糖を使うなど、からだに負担の少ない材料を使っているんだとか。
目指すは、誰でも手を伸ばせるパン屋さんです。
パンをきっかけに第二の人生が幕開け
20代、30代半ばまでは、とにかく仕事に忙殺される日々を送っていた種田さん。
「医療、福祉と2度職場を変えたんですけど、どちらも休む日も寝る時間もないほど働きづめでした。仕事をしつつ、自分の好きなものも一緒に楽しめたらよかったんですけど、両立できなくて……。自分のことは全て後回しにして、仕事に人生を捧げていました。
その後、体調を壊したことで退職を決意。一旦ゆっくりする時間を作るべく、旅行などしながら、半年ほど何もしない時間を作りました」
社会人になってから、初めて自分と向き合う時間ができたと言います。
「この先を考えた時、10年先も同じ仕事をしている想像がつかなかったんですよね。業界や仕事は嫌いではないのですが、復職したら同じ人生の繰り返しになるかも……と思ってしまって。
当時は、誰かの暮らしや命を支えるための仕事で、自分のための仕事ではありませんでした。それは、とても尊いことだと思いますが、今度は自分のために働きたい。自分のために生きてみたいと思ったんです」
そんな時、ふと目についたのがパンでした。
「小さい頃から、朝食には母が焼いた手作りの食パンが並んでいました。親元を離れていた大学の時も、手作りの食パンを送ってくれて……忙しかった前職時代も毎朝、この手作りパンだけは食べていました」
パンが自分の生活に欠かせないと気づいた種田さん。きっとパン自体が、どんな時でも見守ってくれる母親のような存在にもなっていたのでしょう。
「今度は自分のために何かするなら、慣れ親しんだパンを作ってみたい……。それがパン作りのきっかけでした」
「パンを作るなら、教室に通うのではなく、試験や単位がある環境で、しっかりと学びたいという気持ちが強くて、富山から大阪の専門学校に半年ほど通いました」
当時は、月曜から金曜は、医療相談員の嘱託職員として働き、土曜に日帰りで専門学校へ。
「嘱託職員だったので、平日はほとんど残業がなくて。土曜日は9時からの授業に間に合わせて始発の電車に乗り、帰りは終電。日帰りで大阪に通っていました」
そんなハードスケジュールをこなすのは大変ではなかったのかと、伺うと、それが逆に気分転換になっていたという種田さん。「パンを作る面白さに気づきました」と嬉しそうに語ってくれました。
パン作りに自我が芽生える
パンを学ぶ生活を半年ほど続け、無事に専門学校を卒業した後は、パン屋でアルバイトをしてみることに。その中で、今度は沸々とパン作りに対しての自我が芽生えきました。
「おいしさだけを追求するパンを作りたくないなと、思ってしまったんですよね。おいしさに加えて、からだにも優しいパンをお届けしたくなったんです。
パン屋で働いたことで、からだに負担の少ない材料を使ったパン作りがしたいと強く思うようになりました」
パン作りへの強い想いと同時に、自分のこだわりや方向性を認識できた瞬間でもありました。そして、これがきっかけにパン屋をオープンさせたいという思いがむくむくと湧いてきたのだそう。
「小さくてもいいからパン屋さんを開こう」と、一念発起。アルバイトを辞め、自宅でパン作りをしながら、創業スクールに週1回、半年ほど通ったのだそう。
創業スクールでは、事業計画書やお金のことなど経営に関することはもちろん、「なぜパン屋を運営したいのか」というメンタル部分についても学びました。
「創業スクールに通ったことで、パンを作るだけではなく、パンを売り続ける、という全体象が見えたんです」
計画的に開業の準備を進めていった種田さんは、1年足らずで念願の自分のお店をオープン。2016年11月にスタートさせました。
「今は週4日の営業ですが、最初の1ヶ月は週2日の営業でした。店頭に出していたパンも最初は20種類くらい。Instagramでの宣伝のみでオープンしました。ありがたいことに、友人や口コミで徐々にお客さんがきてくれるようになったんです」
オンライン販売へ挑戦
「約4年間やってきて、パン作りの面白さは未だに薄れません。一方で経営は難しい……と、痛感しています。1日の売れ行きがまったく予測できないんですよね。パンが売れる分にはいいけど、残るとやはり不安になります」
新型コロナウィルスが猛威を振るう中、粉歩ベーカリーでも影響を受けました。
「材料を仕入れてパンを作っている以上、パンを売り切る責任があるんです。パンの材料も、農家の方などいろんな人の手が関わって私のもとにやってきていると思うと、小麦の一粒も無駄にするわけにはいかなくて。みなさんの食卓まで届ける責任を全うしなくちゃと、思ったんです」
売れ残ったパンをどうにかしたいと考えた結果、「rebake(リベイク)」という、廃棄ロスになりそうなパンを取り寄せできるオンライン販売で、再販売することに。
直接お客様の顔が見えないオンライン販売だからこそ、「箱を開けた瞬間の感動を届けたい」という想いから、一つ一つのパンの特長を手書きした説明書を同封しているのだそう。
パンへの愛情をたっぷりと感じられるお届けもの。今では届いたパンを「宝箱」だと称するお客さんもいるそうです。
「オンライン対応したことで、パンをお届けできるお客様が全国へと広がりました。リピートしてくださる遠方のお客様もいらっしゃり、喜びの声もメッセージでいただくので励みにもなっています」
形にとらわれず変化を楽しんでいきたい
「パン屋になったからには、しっかりとみなさんの食卓に届ける責任があります。そのためには、商品も売り方も、柔軟に変えていかないとな、と思っています」
「パン屋さんだからこういう形でなければならない」という固定概念を外し、「柔軟な変化は欠かせない」とはにかみながら、力強く答えてくれた種田さん。
「自分の作ったパンが、朝のメニューに並ぶとと思うと嬉しいです。朝起きるのが辛い時、粉歩ベーカリーのパンを思い出して気持ち良く起きられる。そんなパンをこれからもお届けしたいと思っています」
思いやりを感じるパンで、お腹も気持ちも満たされるファンが、増え続けているのでしょう。
(文・写真 土屋香奈)
粉歩ベーカリー | こぽべーかりー 富山県富山市経堂3丁目12-19 |