「M’s mama」 富山 みかさん

ほっとする居場所をつくりたい

神奈川県・大倉山にあるパン屋「M’s mama」。店主の富山 みかさんが作るパンは、一口食べると口の中に優しい味が広がります。大切にしているのは「添加物を少なくしたできるだけ体にやさしいパン」。

「パンは焼きたてが一番美味しいから、皆さんの代わりにパンを焼かせていただいているんです。」と話すみかさんですが、ここまでの道のりは、山あり谷あり。

孤独や我慢の末にたどり着いたのは、自分もお客さんもほっとできる「かけがえのない居場所」。みかさんが歩んだ道のりを伺ってきました。

横浜駅から、電車で15分の場所にある大倉山。駅を降りると、ギリシャの街並みをイメージした商店街や記念館など、おしゃれな街並みが広がります。

大倉山の駅から歩くこと8分ほど。中学校を通り過ぎるとアパートの一角にあるのが、パン屋「M’s mama」です。

「いらっしゃいませ!」
と元気に優しい笑顔で訪れるお客さんを迎えるのは、「M’s mama」の店主・富山 みかさんです。この地にお店をオープンしてもうすぐ3年。地元の人に愛されるお店です。

みんなの代わりに焼く、「焼きたてのパン」

ドアを開けると愛くるしいパンが並んでいます。店内には、常時30種類ほどのパンがあります。中でも人気なのは、プレーン・チョコ・バナナの3種類から選べる「ワッフル」と、甘酸っぱいクランベリーとクリームチーズの入った「バトン」。子どもにも、ご年配の方にも人気なおやつです。
また、さとうきびの風味がする素焚糖(すだきとう)を使用した「食パン」もおすすめです。

「パンは焼きたてが1番美味しいけど、お米のようにボタンひとつで焼くことができない。毎日作るのは大変だから、私が代わりにパンを焼かせていただいているんだと思っています。」

みかさんが作りたいのは、地域の人に喜んでもらえる「からだにやさしいパン」。そのためには、当たり前のように思える日々を、健康で毎日元気よく過ごさなければ。そんなふうに話すみかさんには、パンに込めた思いがありました。

みかさんのお母さんは、自宅でパン教室や料理教室の先生をやっていました。
そのため、みかさんにとって小さい頃からパン作りは身近な存在でした。
お母さんがパンを焼く隣で、楽しくまねをしながら一緒に作っていました。

「教室運営はすごく忙しいけれど、稼ぎにはならない。いつか定年後に趣味としてパンに携わる仕事ができたらなあと、ぼんやりと思っていました。」

いつも忙しいお母さんを、間近で見ていたみかさんの中には、パン屋の道に進むという考えはありませんでした。

電気工学の仕事

理系科目が得意だったこともあり、進学したのは一般大学の電気工学について学ぶ学部。在学中はバスケット部にも入部して、楽しい日々を過ごしました。

大学院を卒業後、テレビにまつわる大手電機メーカーの家電研究所に就職し、26年間にわたり様々な部署で経験を積みました。最初に配属された研究所では、人にも恵まれ、自分のペースでゆったりと作業ができ不満はありませんでした。

「昔からものづくりが好きだったので、製品が完成した時の達成感が好きでした。テレビの中に自分が設計したパーツが入っていると思うとすごく嬉しかったんです。」

10年ほど研究所での日々を過ごしたのち、社内での部署移動で半導体や映像関係など、16年の間でいくつかの事業部を経験しました。しかし、最終的に所属していた部署が別の企業に売却されることに決まったのです。

「移動後の部署では、すぐに成果を出すことを求められ、自分のペースでの作業が難しくなりました。それに加えて、会社が売り飛ばされることが決まって…本当は「違うことに挑戦しようかな」と転職も考えましたが、経済的な面も考慮してそのまま会社に残ることにしました。」

しかし、新しい環境では社風が合わず、1年ほどで退職。その後、知り合いが立ち上げた会社に設計技術者として就職しましたが、人間関係がうまく行かず再び退職することになりました。

そうして、みかさんは約30年ほど続けた電気工学の仕事に別れを告げることにしたのです。

「自分の居場所はここじゃない」

大学在学中から、電気工学が自分には合わないと感じていたみかさん。周りはみんな「子どもの頃から電気系のモノづくりが好き」な人ばかりな中、彼女は電気関係には興味がなく、自分の研究に対する興味が薄く、どうしても好きになれないことに違和感を感じていました。

「興味がない仕事はやっちゃいけないですね」と笑いながら話すみかさん。

仕事はなんとなくこなせてしまったからこそ、「自分には向いていない」「自分の居場所はここじゃない」という違和感を、30年間抱えながらすごしてきたのです。

「回路設計などの仕事はハードで、終電で帰宅が当たり前でした。『チャンスがあればいつでも辞める!』と思ってましたが、自分には回路設計以外にできることがなかったので行動に移せませんでした。もしも会社が売り飛ばされなかったら、きっと定年まで同じ会社で働き続けていたと思います。」

母の死

会社を退職後、今後の人生について考えたみかさん。パン屋の仕事で生きていくと決意するきっかけになったのが、母親の存在でした。

「1人目の子どもが生まれて仕事に復帰した矢先、母の癌が発病。子育てを手伝ってもらおうと思ったのに、結局待っていたのは母の看病でした。」

2人目の子供が生まれてすぐ、お母さんは亡くなりました。

そして、子供の育児と父と祖母の食事や身の回りの世話がみかさんの肩に重くのしかかることになったのです。

仕事に復帰後、みかさんの日々は保育園の送り迎え、会社での仕事、そして実家で父と祖母の世話といった忙しいスケジュールで埋め尽くされていきました。

「この生活が大変だとか、仕事が嫌だとか考える暇もなく、毎日がすぎていきました。他にやりたいことも、できる余力も何ひとつ残っていなかったんです。」

こうした生活が10年も続いた頃、子供が中学生になり、みかさんは少しずつ自分の時間に余裕を感じ始めました。

「子どもが手を離れた時、何か新しいことを始めたいと考えるようになりました。でも、どんなことができるかわからなくて。そんな時、ふと思い出したのが「手作りのパン」の美味しさでした。」

お母さんが使っていた道具も残っていることから、パン教室に通い始めることにしました。

当たり前じゃない。いつでもパンが焼けること

「今まで積極的にパンを焼くことはしてこなかったんです。いつか母に習おうと思っていたら、その前に母が亡くなってしまいました。」

健康な体で、いつでもパンが焼けること。それまで当たり前だと思っていたことに価値があると知ったとき、みかさんの中で「パン屋」への想いが大きく膨らんでいきました。

「母は60歳で発病し、62歳で亡くなりました。自分もいつ死んでもおかしくない歳になり、好きじゃないことをやってる場合ではない。定年まで待っていたらできないかもしれない。そうなったら絶対後悔すると思って、一歩を踏み出そうと決めました。」

パン屋の道に進むと決めたあと、当初は自宅を改装してオープンする予定でした。
しかし、自宅は住宅街のど真ん中で、近くにはすでに人気のパン屋さんがありました。

「大倉山にきたとき、小さなお店がたくさんあったので、ここなら自分でも挑戦できるかもと思ったんです。」

知り合いのオーナーに頼んで、大倉山にアパートを借りることができたみかさん。
知り合いのいない土地で、ゼロからの挑戦が始まりました。

孤独

2021年4月、待ちに待ったオープンの日がやってきました。
30年間の悩みの末、やっと夢が叶った瞬間。嬉しいことに、徐々に客足も増えていきました。

しかし、新しい挑戦に待ち受けていたのは「孤独」でした。
自宅では1度に1つのパンを作っていましたが、お店ではいくつもの種類を1人で同時に作らなければなりませんでした。オープン当初は、普段できていた計量なども、焦って失敗してしまうことがよくありました。

「自分はこんなにできないんだって、オープンしてから気付きました。それに、失敗した時に誰にも共有できないのが辛かったんです」

今では、失敗も減り孤独を感じることが少なくなりました。
「新作ができたり、パンがうまく焼けたときなど、日々の喜びを感じながら、自分で自分を鼓舞しているんです。」と、彼女は語ります。

体にやさしいパン

みかさんが大切にしているのは、「体にやさしいパン」。
マーガリンやショートニングは使わず、添加物を最小限にとどめ、カレーやカスタードなどのフィリングも手作りすることで、体に負担のかからないよう心掛けています。

「パン教室のお師匠が健康志向だったのもあるけれど、母が発病してからは特に気をつけるようになったんです。」

お母さんが病気になったことがきっかけで、みかさんの添加物に対する意識が大きく変わりました。

「母はジャンクフードやコーラなど、好きなものを気兼ねなく楽しむ人でしたが40代から成人病になりました。それからは、かなり食事や健康に気を遣うようになったんです。それでも癌になってしまい、とてもショックでした。そのとき、『私みたいにならないようにね』と言われたのを今でも覚えています。」

だからこそ、みかさんはお客さんも自分自身も、できる限り体にいいものを摂れることを心がけています。

お客さんからは無添加のパンを依頼されることもあるそうです。
最近ではアレルギーを気にするお母さんから、「赤ちゃんのために離乳食に卵や乳成分のないパンが欲しい」とリクエストがありました。

一人ひとりのお客さんに寄り添うことが、みかさんのスタイルなのです。

感音性難聴

昔から、遺伝性の感音性難聴を抱えるみかさん。
彼女がパン屋として生きていくことを決意したのは、進行性の病気と会社での違和感からでした。

「会社に入社したときは、人に言わなくても問題ないくらいの進行でした。そこから徐々に出来ないことが増え、電話対応をお願いすると『チッ』と舌打ちされることもありました。」

特に大人数の会議などでの聞き取りに苦労し、誰が話しているかを追いかけることが難しくなりました。

「毎週、何を言っているのか聞き取れない会議に参加しなければいけませんでした。発言もできず、自分がここにいる意味がわからず、ずっと孤独を感じていました。」

聞き返した際に言われる「じゃあ、いいよ。」の一言や、会話の伝達ミスが起きることもしばしば。

「耳が聞こえないんだから仕方がないと自分を納得させながら、我慢をしながらやってきました。だけど、限界だったのかもしれません。ずっと『会社』という場所から抜け出したかったんです。」

お店をオープンしてから約3年。現在は、ストレスフリーな空間で仕事ができているというみかさん。

「店の中には、聞き取れなかった時のためにボードを用意しています。訪れるお客さんも、耳が悪いというと分かりやすく言い直してくれたり、お客さんに助けられてお店ができています。」

パン屋の仕事には、パンを焼くこと以外にも多くの仕事があります。経理、仕入れ、在庫管理など全てをみかさん1人でこなしています。

「前日の仕込みなど、面倒なことは山ほどありますが、この3年間ずっと楽しいんです。やってみたらこんなに大変なのかとも思いましたが、『明日会社に行かなきゃ。』って思うことがなくなり、心が軽くなりました。気がつくと、ああ、パン屋の仕事が好きなんだなあって改めて思います。」

M’s mama

店名の「M’s mama」は、みかさんと娘2人の名前の頭文字である「み」からきています。「2人のMたちのママ」という意味で名付けられました。
店名にはいくつかの候補がありましたが、最終的には娘たちに由来するものに決めました。

「お母さん、もうたくさん頑張ってきたから、もう自分の好きなことやっていいんじゃない?」
パン屋への一歩を踏み出すのに躊躇していた時、背中を押してくれたのは娘たちでした。

「昔、高校時代のあだ名が『ママ』だったから、それもちょっとした縁というか馴染みがあるんですよね。」と、みかさんは笑顔で話してくれました。

ほっとする場所をつくりたい

「仕事帰りにいつも寄ってくださる常連さんで、お店でお話をして、たわいのないことで笑えるのがストレス解消になる。と言ってくれるんです。誰もが気軽に寄っていただける、来てよかった、ほっとすると思える空間でありたいと思っています。」

思っていることは声に出さないと伝わらない

パン屋をオープンして思うことは、たくさん大きなお店やアクセスのいい場所があるのに、あえてこんなに小さなお店を気にかけてくれて「ありがたい」ということ。

普段は、買い物する際は会話もあまりしてこなかったというみかさん。

パンを買いに来てくれるお客さんから、「この前買ったパン、美味しかった!」と励ましてもらうことで、考えが変わりました。

「全然売れなかった日でも、「美味しい」の一言でハッピーになるんです。ちょっとした言葉がすごく嬉しくって。」

「気持ちは声に出さないと伝わらない」

お店を始めてからは、積極的に買い物中に声に出すようになったと言います。
「これからも、素直な感想を伝えていきたい」とみかさんは話します。

「体にやさしいパンを少しでもたくさんの人に食べていただいて、街の人が元気になっていってくれると嬉しいです。1日でも長く楽しくお店を続けるためにも、健康で元気よく過ごしたいですね。」

たくさんの苦難を乗り越え、自分の居場所を探し続けてきたみかさんだからこそ、一人ひとりのお客さんに寄り添うことができる。

みかさんの温かさをもとめて、今日もM’s mamaはみんなの居場所となります。

「いらっしゃいませ!」

お店には、今日もみかさんの元気で温かい声が響きわたります。

M’s mama | えむず まま


神奈川県横浜市港北区大倉山
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