東京で育った庭⼭なをさんは北海道へ移住。ナニナニとはアイヌ語で”そのまま”を意味し、良質な⾷材をできるだけ”そのまま”味わってもらう焼き菓⼦とパンを⽬指していました。
北海道室蘭市、鉄鋼業が盛んで「鉄のまち」とも⾔われるこの街に、こだわりの焼き菓⼦・パンのお店があります。新千歳空港でも販売されている室蘭⼯業⼤学公認の「鐡の素クッキー」、「ジンギスカン鍋クッキー」は、ナニナニ製菓が製造・販売している商品です。東京から北海道へ移住してきたナニナニ製菓の製造責任者:庭⼭なを(にわやまなを)さんと、その夫の貴⾏(たかゆき)さん、数名のスタッフで営む地元に寄り添ったパン・焼き菓⼦のお店です。
「ナニナニ」とはアイヌ語で”そのまま”という意味。良質な素材をそのまま⽣かしたパン作りがコンセプトのお店です。
「贅沢じゃなくていい。特別じゃなくてもいい。シンプルだけど丁寧に。」なをさんの想いに共感した地域の⼈たちが、今⽇もここへ⾜を運びます。
使⽤するパンと焼き菓⼦には、全て北海道産⼩⻨を使⽤しています。なぜなら、「北海道産⼩⻨はポストハーベストなどの⼼配もなく、おいしいから。」となをさんは語ります。パンの材料は地元で取れた野菜や果物などを中⼼に使⽤し、地産地消を⼼がけています。時には⾃ら農家さんへ⾜を運び、仕⼊れた野菜などを店頭で販売しています。
「雑貨、インテリアの道へ」
以前から雑貨・インテリアに興味があったなをさんは、⾼校を卒業後、東京の雑貨店や家具店で働いていました。ナニナニ製菓にもある、アンティークの机も彼⼥のこだわり。好きな家具や雑貨で囲まれた⽣活に憧れていたそうです。
インドネシアから輸⼊してきた⾼級家具を富裕層を相⼿に販売を⾏っていました。外国のお客さんも多く、接客はやりがいがあったと語るなをさん。しかし、忙しさのあまりプライベートの時間まで仕事について考えるようになってしまいました。
「商品がとても⾼価なものだから、お客さんには後悔して欲しくないと思って、休みの⽇でも仕事のことを考えるようになってしまったんです。それでも失敗することはあったんですけどね。」
インテリアは好きだったけれど、責任の重さと忙しさが彼⼥にとって少し負担となっていたのです。
忙しい毎⽇を過ごす中、彼⼥はお店にあった焼き菓⼦の本を⾒つけました。最初は休憩の合間に眺めるだけでしたが、少しずつ焼き菓⼦作りに興味を持ち始めるようになりました。そして、27歳になった年に10年間程続けていたインテリア等のセールスから、パティシエへと転⾝することになります。
「国際⾊豊かなスペイン様式のレストランで働く。」
彼⼥は友⼈に新しいことを始めようかと相談したところ、「うちのレストランに聞いてみる?」と話が進み、飲⾷の業界へいくことになります。そこはスペイン様式の建物を改修したスペイン料理のレストランでした。履歴書を持った彼⼥を出迎えたのは、スペイン⼈のシェフ。
「せっかく履歴書を書いたのに『僕、⽇本語読めないんだよね〜』と⾔われて(笑)。でも、話をしていくうちに、とんとん拍⼦でアルバイトとして働くことが決まりました。そこには外国⼈スタッフが多く、英語、フランス語、スペイン語・・・。今までとは全く別世界にきた感じがしました。当時の仕事が本当に楽しくって。毎⽇仕事にいきたい!そんな気持ちでした。」
未経験だったにもかかわらず、パティシエ補助として採⽤された彼⼥を仲間たちは快く出迎えてくれました。
新しいことに夢中だった彼⼥は、レストランで焼き菓⼦の作り⽅などを学びながら、ヨーロッパの⽂化にも少しずつ興味を持ち始めます。普段の仕事で⾶び交う⾔語にスペイン語とフランス語が多かったため、独学で少し勉強したそうです。
「当時はそのレストランの影響で、ヨーロッパにかぶれていましたね。本場の焼き菓⼦が⾷べたいと思って、留学先の知⼈を訪ねてフランスに⾏ったりしていました。」
「パンはまるで⽣き物のようだった。」
レストランで製パンの補助なども任されていたなをさんは、製パンについても学びたいと思い始めるようになります。
パン屋の仕事を探していた彼⼥が転職した先は、デパートの中にあるカフェ・ベーカリーのお店でした。⼩さいお店だけれど、製パンについて広く学ぶことができたと、なをさんは語ります。
「パンはまるで⽣き物のようでした。焼き菓⼦は⾃分のペースで作ることができるけど、パンは私⾃⾝がパンに合わせるような感覚があって。季節などによって⽣地の状態も変わるし、焼き菓⼦とはまた違った難しさがありました。」
「でも私はストイックにはできなくて。⾃家製酵⺟に挑戦したことがあったけど、うまく続けることができませんでした。今のパンも焼き菓⼦もアバウトに作っちゃいます(笑)。」
「オーガニック素材も⼯夫をすれば安くできる。」
なをさんの中で”⾷”について考えるようになったきっかけがありました。それは、出産です。⾃分の体は⼦どものための体でもあるから、当時から体に負担の少ない⾷⽣活を⼼がけていたそうです。そして、新たに転職した先は、ヴィーガンとオーガニックの焼き菓⼦のお店でした。
オーガニック素材にこだわると、原価はどうしても⾼くなってしまいます。当時勤めていたお店では、メープルシュガーからメープルシロップを作って使⽤していました。そのほうがシロップで仕⼊れるよりも原価を抑えることができるからです。オーガニックの素材は原価は⾼いのはもちろん、品質が不安定なために扱うのが難しいことがあります。そのお店ではたくさん学ぶことがあり、その知恵は今のお店にも⽣きているのだそうです。
「⾃分のお店を持ちたい。」
なをさんは過去にこっそりマルシェに出店しようとしたことがありました。しかし、営業許可をとっていなくて、やろうとしたら怒られてしまったと彼⼥は語ります。
友⼈の⼦どもの誕⽣⽇にバースデーケーキをお願いされたこともありました。乳製品がアレルギーだったため、⾖乳クリームを使⽤したケーキを作ったところ、⼤変喜んでもらえました。
「⺟が⼦どもに焼き菓⼦を作る感覚とは違い、⼈の役に⽴ったという感覚になったんです。そこで初めて、これなら⾃分でもできるかもしれないと思って、⾃分でお店を開きたいと思うようになりました。」
しかし、東京には既に似たようなコンセプトのお店がたくさんあり、競合が多かったそうです。そことの差別化が難しいし、うまく続けていく⾃信もアイデアもありませんでした。
「東京から北海道へ。新しい⽣活が始まる。」
夫の貴⾏さんの実家は北海道室蘭市。彼は室蘭にいつか戻りたいと思っていました。ずっと東京で育ったなをさんは、北海道の地⽅都市に来ることは想像もしていなかったでしょう。それでも移住を決意した彼⼥には、理由がありました。
「東京では⼥性が1⼈で焼き菓⼦のお店をやっている⼈が多くて。既に競合も多いし、その中で⾃分はやっていけないなと思ったんですけど、北海道ならできるかもと思いました。」彼⼥の夢を⽀えてくれたのは、夫の貴⾏さんでした。彼には地元室蘭市の⼈脈もあり、⼆⼈三脚でお店作りをすることが決まりました。
「⾚ちゃんを抱えてオープン」
なをさんがパン・菓⼦製造のシェフ、夫の貴⾏さんは製造以外のお店の管理、プロモーション、会計などそれぞれ分業し、お店がオープン。室蘭市中島町の「シャンシャン通り」という商店街にナニナニ製菓が⽴ち上がりました。
「私は黙々と作るのが好き。でも夫は製造よりも地元の⼈との繋がりや営業の⽅が得意だったので、お互いの得意分野が違ったからこそ、⽀え合ってオープンすることができました。夫の⼒なしでは難しかったと思うし、そもそもお店をやっていなかったかもしれないです。」
新しい新天地に来るわくわくする気持ちや不安はなかったのかを尋ねると、お店の準備でバタバタしていたので、あまり考える余裕がなかったと語るなをさん。オープンする前にはお腹に⾚ちゃんがいることがわかり、半年後に出産を控えていたのでした。
「地域に⽀えられているから、今がある。」
「もう閉店しちゃったけど、隣の時計屋さんにはとてもお世話になりました。⽣まれたばかりの⼦どもの⾯倒もよくみてくれていて、東京では経験しないようなアットホームで暖かい⼈たちに囲まれていていました。お客さんも⼦どもをあやしてくれるし、とても助かりました。」
こうして地元の⼈に⽀えられて営業しているナニナニ製菓。来店する顧客は⼥性が多いそうです。
「お客さんのほとんどがお⼦様連れの主婦層です。たまにリストが書かれたメモを持ってくる男性も来店することがあります。おつかいを頼まれたのかな。」「⾃分にも⼦どもが⽣まれたと⾔って、来店してくれたお客さんがいて。気づけば1歳の誕⽣⽇でケーキを発注してくれて、そしてあっという間に⼦どもが⼤きくなって。そんなたわいもない会話が楽しくて、忙しいけれど、お店をやっていて良かったなと思います。」
「⼦どもはいい意味で素直だから」と、なをさんは新しいレシピを考えたら、⼦どもたちに⾷べさせるようにしているそうです。これが本当に美味しいのかどうか、⼦どもたちの反応を⾒てから販売するかどうかを決めるようにしています。「実は全てのものが乳・卵が含まれていないわけではありません。ブルーベリーの焼き菓⼦などは、カスタードクリームよりも⽣クリームを使⽤した⽅がおいしいと思ったので、そっちを選びました。素材に合わせて卵・乳を使った⽅がおいしいと感じた時は味を重視します。」
「みんなが集まる場所、ナニナニ製菓。」
「ここ室蘭ってサッカーが盛んな町なのに、気軽にサッカーができるような広い公園はほとんどない。⼦どもたちの居場所がどんどん狭くなっているから、彼らが気軽に集まれる場所ができるといいですね。最近は近くの広場でイベントが頻繁に開かれていて、⼈も結構集まっているから、地域の⼈たちは集まる場所を求めているんじゃないかなって。」
できることは少なく、今はひっそりとしているけれど、将来はいろんな⼈が気軽に集まる場所を作りたいとなをさんは語ります。
東京から北海道へ移住した彼⼥が作ったはナニナニ製菓は、⾃分のお店であり、家でもあります。⼣⽅には⼦どもたちが帰ってきて、また友達も連れてくる。たくさんの地域の⼈たちに⽀えられて、⼩さいけれど少しずつ、ナニナニ製菓は”⼈が集まる場所”となっていくのでした。
ナニナニ製菓 | なになにせいか 北海道室蘭市中島町 |