シックな青の扉を開けると、木の温もりを感じる店内。午前10時、店主の川西香保理さんがパンを焼いている真っ最中で、店内には香ばしい匂いが広がっていました。
兵庫県宝塚市、都心から電車で約40分のところ。川西香保理(かわにしかほり)さんが営む 「HEIDI BROT(ハイジブロート)」は、住宅街の細道を抜けた先にある隠れ家のようなお店です。
初めての天然酵母パン
HEIDI BROTとはドイツ語で「ハイジのパン」という意味。香保理さんが子供の頃から愛してやまなかったハイジの物語から名付けられました。大切な家族や友人にいつでも美味しいパンを食べてもらいたいという優しい思いを込めて立ち上げたパン屋さんです。
彼女は岡山県生まれで、親の勧めで地元にある放送局のショールームで働いていました。結婚後は転勤が多かったご主人とともに、色々な土地に移りながら子育て中心の日々を過ごしていました。
転勤先の仙台で暮らしていた時、知人からパンをもらいました。この手作りの「天然酵母」のパンが、香保理さんの人生を変える転機となりました。それまでイーストで作られたパンしか食べたことがなかった彼女は、その美味しさに衝撃を受け、すぐに知人が通っていた「ホシノ天然酵母のパン教室」に足を運ぶことになるのです。
生後10ヶ月の娘を背負って通い始めた月に一度のパン教室。先生が自宅でも練習ができるように粉を持ち帰らせてくれました。しかし、教室では上手く焼けても家では思うようにいかず、何度も失敗したそうです。
ストイックな香保理さんは練習を繰り返し、徐々にパン作りにハマっていきました。
シュタイナー教育
香保理さんの中で”⾷”について考えるようになったきっかけがありました。それは、シュタイナー教育との出会いです。
「結婚するまではいわゆる親の敷いたレールを歩んできたので、進学や就職も、自分で何かを決めたことが少なかったんです。」
結婚を機に地元を離れて自分の人生を歩むことになった彼女ですが、子育てにおいては不安や心配が大きく、自信のない日々が続きました。
そんなある日、子供と行った高知県のおもちゃ屋で「シュタイナー教育」と言う言葉を目にしました。どこかで「心のよりどころ」を求めていた彼女は、いつしかシュタイナー教育にのめり込むようになったのです。
シュタイナー教育に触れるうちに、香保理さんは自然体であること、そして動物性フリーを重視するという考え方に惹かれていきます。それが後に、彼女が「ヴィーガンパン」を作るきっかけに繋がっていくのです。
店内には木を基調とした雑貨が多く、香保理さんが手作りしたものが飾られています。椅子やテーブルなど、作れるものは何でも自分で作ってしまったといいます。
香保理さんの暮らしのこだわりが見える、素朴で暖かみのある空間が広がっています。
パン作りへの情熱
転勤と引っ越しを繰り返す生活の中で、子供たちの入園・入学のタイミングで仙台から鎌倉に引っ越した香保理さん。パン作りを一時期お休みし、休日を市内のパン屋巡りで費やしていたそうです。
その後も、パンへの愛情が消えることはありませんでした。子育てが少し落ち着いた頃、新たなパン教室に通うことにしました。そのパン教室では、今まで何度も挑戦しては失敗していた『天然酵母』を学ぶことができました。
新しい土地、新しい気候の中で、香保理さんは自分でも驚くほど早く天然酵母を使ったパン作りをマスターしたと言います。そこからパン作りへの情熱が再燃し、彼女は天然酵母のパン作りにはまっていきました。そして、気が付くとパンの消費が追いつかず、家中がパンで溢れかえるほどになっていました。
そんなある日、パン教室の先生が「パン屋で働けば趣味と実益が兼ねられる。イーストも知った方がいいかもよ。」とアドバイスをしてくれたのがきっかけで、パン屋で製造のアルバイトをすることになったのです。
パン屋でのアルバイト
初めてのパン屋でのアルバイトは、朝の4時から始まる3時間だけの勤務でした。仕事が終わると急いで帰宅し、子供が学校に行く準備をして見送る日々。ほとんど眠らずに仕事に行く日もあったそうです。
小さなお店だったため、人手が足りず、初日から未経験の香保理さんも沢山のパンを成形することができました。
「パン屋の店主は職人気質の人が多いので、手取り足取り教えられたことはなく、目で見て覚えるように言われました。だから、新しいパンの作り方は通信教育で必死に勉強しました。」
上手く成形できないと、店主にパン生地を無言で捨てられてしまうほど厳しい環境だったそうです。
それでも香保理さんは、「どんなに厳しくても、寝る時間を削ってでもパン屋で働きたくて仕方がなかったんです。挑戦したことのないパンを成形できることが本当に楽しかったんです。」と語ります。
しかし、楽しかったパン屋でのアルバイトも4ヶ月で終わりを迎えます。
子育てをしながら休みが殆ど無いパン屋のアルバイトを続けることは、家庭を大切にしたかった彼女にとって無理があったのです。
分からないことはなんでも習う
パン屋のアルバイトを辞めた後も、好奇心旺盛な香保理さんは色々なことに挑戦し続けました。保育施設の立上げに参加し、マクロビオティックな給食の献立と調理を担当しました。献立に悩んだときはマクロビオティックの教室にも通いました。
引っ越しの多かった彼女は、全部で4名のシェフに学び、単発のレッスンや講習会も合わせると数えきれないほどのレッスンに参加したそうです。
「わからないことは習えばいい、新しいことを学ぶことが楽しかったんです。」と笑いながら話す香保理さん。
色々なことにチャレンジしてきた彼女の知識と経験が、今のお店に活かされているのかもしれません。
パン教室
通っていたパン教室の先生から「オリジナルレシピを作ることが一番面白い!」と教わった香保理さん。自宅だったら家族との時間も大切にできると思い、レシピを作り始めてすぐに自宅でグルテンフリーのパン教室を開くことにしました。
「思い立ったらすぐ行動してしまうんです。教室を開く前は他の自宅教室の体験にも通ってお部屋の雰囲気や言葉の使い方を学びました。教室を始めたらアレルギーを持つ子供のお母さんから感謝されて、すごく嬉しかったです。」
教室を始めてしばらく経った頃、「レッスン後に先生のパンを買いたい!」と家でパンを焼く時間が取れない生徒さんたちの声が少しずつ増えていきました。
イベントでパンの販売も行っていた彼女は、生徒さんの声がきっかけで、少しずつ自分のお店を持つことを考え始めるようになります。
しかし、パン教室を初めて3年ほどがたったころ、ご両親の介護や子供たちのダブル受験が重なり、教室をお休みすることを余儀なくされたのです。
お店オープン
介護が一息ついたころ、実家に使っていない古民家があると知った香保理さんは、ご主人と一緒にお店作りを始めました。
「YouTubeで検索して、見よう見まねでDIYしました。天井を抜く作業の時は、どうなることかと思ったけど何とかなりました。上手くいかなかったところは今でも発泡スチロールを入れて補強したままなんです。」
そして、香保里さんが50歳の誕生日を迎える前日に、お店をプレオープンしました。
「実は、プレオープン当初はパン教室時代の機材が殆どだったので、何度かシュミレーションしたにもかかわらず開店時間にパンが焼き上がらなかったんです。そこからオーブンを増やして、4ヶ月後にやっとグランドオープンができました。」
営業許可を取得してから半年間は、イベントや予約が入った時にだけ焼いていましたが、プレオープン後は開店時間に間に合うように、多くの種類のパンを焼き上げるようになりました。
そしてグランドオープン後、イートインスペースを設けたり、卸売りをしたり、コロナ渦には配達もしたりと形を少しずつ変えながら今のお店の形に至ったのです。
今出来ることに真剣に向き合って、とことん研究をする。そしてゆっくり一番いい方法を見つけていくのが香保里さんのやり方なのです。
無理のない範囲で
パンを焼く中で、100点の仕上がりは中々出ないと言う香保理さん。形が失敗したパンでも、「買いたい」と言われることがよくあるそうです。
「過発酵になったり成形が乱れたパンでも、「それでもいいから」とお持ち帰りくださるお客様に感謝しつつ、次はもっと上手く焼かなくてはと思うんです。同じことの繰り返しのように見えるパン作りですが、季節や天気によりサジ加減が違ってきます。業務用の機材を入れていないので暑いときは冷やして寒いときは温めて、昔ながらのパン作りをしている感じかもしれません。」
パン屋を始めるのは簡単だけど、長く続けようと思ったらゆっくり自分のできる範囲でやればいいのかもしれないと彼女は語ります。
子供の大切な時間に寄り添えるように
パン屋を始めたころ、香保里さんは無理をしすぎてしまったことがあるそうです。
「お店を開いているのは週2日なのであまり働いていないように思われるんですが、仕込みや卸売を含めると週の稼働時間は50時間ほどだった時期がありました。一人で作っているからお休みの日にも疲れが残っていて、子供から話しかけられてもぼーっとしてしまうことがあるんです。」
お店のやりくりに必死になってしまい、娘さんが受験生の時やお姑さんが病気の時など、家族が大変な時にしっかり寄り添ってあげられ無かったのが、今でも心に残っていると言います。
その経験があったからこそ、家族の節目や記念日など『大切な時間に寄り添えるように』、家族との時間を守れるようにと香保里さんは「どんな良いことでも無理をしない」ことを決めました。
パン屋はコミュニケーションの場
「私個人が行動しても何も起こらないけれど、「パン屋」だと伝えると一緒にイベントができたり、輪が広がっていくのが嬉しいんです。」
来店する人は地元の方が多いそうですが、先日は小学校の同級生が46年ぶりに連絡をくれたそうです。
「本当は「パンを売る」のは二の次で、「それ以外」のことが多く起きているんです。パンを作っているからこそ出逢えた人がいる。『パンでつながる世界』がすごく好きなんです。」
次の世代へ
様々な土地に移り住んだ香保理さんが作ったHEIDI BROTは、パン屋でもあり、パンを通してたくさんの人がつながるコミュニケーションの場でもあります。
どんな時でも、大切な家族や友人に美味しいパンを食べてもらいたいという優しい想いから始まったお店。香保理さんが大切にしている「パンで繋がる人々の輪」は、次の世代へと受け継がれて行くのです。
HEIDI BROT 兵庫県宝塚市高司1-7-1 |