「MALU。-農家のえんがわ-」縣紀子さん

無駄なことなんて何もない

大阪府貝塚市の古民家をリノベーションした風情ある店舗、「MALU。-農家のえんがわ-」。
店主の縣紀子(あがたのりこ)さんが今年の6月に新規オープンしたこの店舗は、地元の新鮮な野菜を提供すると共に、地域と人々が繋がる場所となっています。

「人と人とを繋ぐのが私の使命」だと語り、挑戦し続ける彼女の想いがつまったお店がありました。

MALU。とはハワイ語で「平和・木陰」を意味し、全ての人、自然がつながるお店を目指して名付けられました。

教師の道へ

子供の頃から数学が好きだった紀子さんは、大学を卒業後、地元の中学校で数学教師として働いていました。人前で話すことが好きだった彼女にとって、教師の仕事はやりがいのあるものでした。

しかし、生徒指導だけでなくバレー部の顧問も勤めるなど、多忙な日々を送っていた彼女。
いつしか、「定年までこの仕事を続けるべきなのだろうか」と考えるようになりました。

「20代は何も考えずにとにかく突っ走れたけど、30代になった時のことを考えると『学校以外のことも経験したい』と思うようになったんです。」

子供や教師の仕事は好きだった紀子さんですが、プライベートの時間が全く取れない日々が少しずつ負担となっていたのです。

「辛いことがあっても、とにかく30歳までは頑張ろうと必死に走り続けました。」

気づくと「30」という数字が、一つのゴールになっていた紀子さん。
教師としての道を走り抜けた彼女は、自然と次のステージを考えるようになりました。

「学校では、表舞台に立つのは教師ですが、裏方の人がいるから私たちは授業ができているんです。今までサポートしてもらった分、今度は私がサポート側にまわりたいと思いました。」

時間に縛られず、定時で上がれてプライベートとも両立ができる生活。
そんな、教師にはない生活に魅力を感じました。

30歳になった年、8年間続けた教師の仕事に幕を閉じ、紀子さんは念願の「事務職」へと転身。
しかし、新たな職場での生活は彼女の想像していたものとは大きく異なり、価値観の違いから結局3ヶ月でその仕事を辞めてしまいます。

初めてのパン作り

お店に入った瞬間の香ばしいパンの匂いと、美しくショーケースに並ぶパンの姿を見るのが大好きだという紀子さん。子供のころから、家ではいつもお母さんがパン焼いてくれました。

パンはとても身近な存在だと語る紀子さんですが、今まで一度も作りたいと思ったことがありませんでした。

しかし、仕事を辞めてからは自由に使える時間が増えていきました。

「ふとした瞬間、家のオーブンと目が合ったんです。こんなに暇なんだから焼いてみようかな?と思い付きました。」

初めて自分で焼いたパンは不恰好でしたが、彼女にとっては最高の宝物。

「オーブンの中でゆっくり膨れていく姿がなんとも愛おしくて、焼き上がるまでずっとオーブンの前から離れられなかったんです。」

初仕事はネギを捨てる作業

実家が専業農家である紀子さん。子供の頃は、よく両親の手伝いをしていました。
その厳しさを知っていた彼女は、自分は農業には関わらないと思っていました。

しかし、人生は予期せぬ方向へ進むことがあります。
事務職を退職した紀子さんは、お父さんからの「手伝って」という一言で再び農家の暮らしに足を踏み入れることになったのです。

大人になってから、初めて経験した農作業は「売れ残ったネギを捨てる」仕事。

「まだ食べられるネギを捨てるというのは、かなりショックな出来事でした。」と話す紀子さん。

しかし、この出来事が後に起こる様々な出来事のきっかけに繋がるのです。

死を考えた3日間

冬の農場のオフシーズン。紀子さんにとって、社会人として初めて自由な時間が持てた時間でした。

かつて教師としての忙しい日々を送っていた彼女にとって、「何もしない時間」は贅沢なもの。
しかしその想像とは裏腹に、いざ自由な生活が始まると、彼女を待ち受けていたのは「孤独」な日々でした。

「自分は誰からも必要とされていない」

突然の自由な生活に、感じるのは孤独と虚無感。

「誰からも必要とされないことが、こんなにも辛いことだとは思いませんでした。朝起きる理由がないと、生活リズムが崩れて人と会うのも億劫になってしまったんです。」

「このまま死んでしまおうか」

そう悩んだほど、追い詰められてしまったのです。
そこから紀子さんは、自分の存在意義や生きる価値について真剣に考えるようになりました。

「夜寝る前に『明日やることリスト』を作ることにしました。明日を生きる理由を探さないと、眠るのが怖かったんです。」

毎晩、自分自身を励ますのに必死だった紀子さん。

「教師の時は、周囲の目を気にして失敗を恐れてちぢこまっていたんですが、死について考えた時、誰からどう見られてもいいやって吹っ切れて。明日死ぬんだったら「やりたいことやろう!」って決めたんです。」

「うまくいかなくたって死なないし!」と笑いながら話す紀子さん。
その絶望的な経験から、彼女は「新しいことを始める勇気」を掴むことができたのです。

屋久島

想いが吹っ切れた紀子さんが目指した先は屋久島。彼女がかつて作った「死ぬまでに行きたいところリスト」に書いた先の一つに、屋久島があったのです。

自然がそのまま残り、生命のエネルギーが感じられる屋久島。紀子さんが出会った島に住む人々の多くが、この独特なエネルギーに魅了され、移住を決めたのでした。

彼らとの出会いは、彼女にとって大きな刺激となりました。
屋久島で数日間を過ごしたことで、短い滞在でしたが見違えるように元気になったのです。

下向きだった心は、紀子さんらしいエネルギッシュな性格に戻り、「前を向いてちゃんと生きよう」と未来を見据えることができるように。
そして、彼女は決意しました。

自分自身の力をつけ、いつか再び人生のターニングポイントとなった「屋久島」に戻ってくる。
そう誓い、紀子さんは島をあとにしました。

パン職人への挑戦

屋久島での体験を経て、元気を取り戻した紀子さん。
一時は自宅近くの住宅メーカーで派遣の事務職に就いていました。

教師時代は、まともにお昼を食べる時間がなかったと話す彼女。

「教師時代に身につけた早食いで、休憩が50分余ってしまったんです。何をしていいかわからなかったので、パン作りの本を読むことにしました。」

初めてパンの本を読んだ彼女は、そこからさらにパンの世界に魅了されていきました。中でも「365日の考えるパン」という本は、パン作りの常識を覆すような本でした。この本から衝撃を受けた紀子さんは、本を書いたシェフの元で働きたいと思い、すぐさまシェフに連絡をしました。

その結果、彼女は東京のパン屋で研修を受けられることになったのです。

勢いでパン職人の仕事に飛び込んでみたものの、初めての業種に初めての土地。大阪から東京行きの新幹線に乗った時、ものすごく不安になって涙を流しました。

それでも、彼女は自分を励まし、前を向き続けることを決めました。
「一度、生きるか死ぬかを考えた私にとっては、怖くても進み続けるしかなかったんです。」

職人になりたいの?経営者になりたいの?

東京という新たな場所で、パン屋の修行を始めた紀子さん。
日々の激務に耐えながら、様々なパン作りの技術を身につけていきました。

未経験から始めた彼女ですが、パンを焼いたり、あんこを炊いたりと色々なことを経験させてもらいました。

しかし、日々の激務ではインプットの時間が取れず、自分の中で考える時間も持てないまま、ただ「パン作り」という作業をこなすだけの日々。何事もじっくりと考え、整理してから行動する彼女にとってはモヤモヤすることも。

大好きなパンに囲まれて過ごす日々は幸せでしたが、その中で何か満足の行く結果が得られずにいたのです。

そんなとき、たまたま参加した異業種交流会。
色々な業種の人が参加する中、ある経営者から想像もしていなかった質問をされました。

「きみはパン職人になりたいの?経営者になりたいの?」

突然の質問でしたが、一呼吸おいて「35歳までにパン屋の経営者になりたいです」と答えていた紀子さん。その時、彼女の年齢は31歳。

居ても立っても居られなくなった彼女は、帰宅後すぐに思い描く「店舗構想」を紙に書き出しました。

「自分が大好きなパンで「野菜」をPRしたい。家族が作った美味しい野菜を新鮮なうちに食べてもらいたいと思ったんです。」

そして、7ヶ月勤めたパン屋を退職し、経営者の道に方向転換することに決めたのです。

八百屋

実家では、常に野菜に囲まれた生活だったため、野菜を買いに行くことが少なかった紀子さん。

自分の店を開くには野菜の価値や値段の付け方を知る必要があると感じた彼女は、八百屋でアルバイトを始めました。

その八百屋では、「新鮮・おいしい・適正価格」をキャッチフレーズに、生産者も店舗もお客様も満足する価格を追求していました。そしてその値付けまで、考えさせてもらえたのです。
並べ方や魅せ方、伝え方など、初めて商売の現場に立ち、貴重な経験をさせてもらいました。

サンドイッチ店『MALU』オープン

経営者としての視点を学びながら、紀子さんはある時、「モバックショー」という食の展示会に参加しました。

様々な試食がある中、「ピンサ」というイタリアの粉に出会います。
生地の風味に感動した彼女は、この粉を使って野菜を美味しく食べてもらえる商品を作ろうと考えました。

すぐさま福岡での研修に参加し、試作と試食を重ねた結果。

「おいしいやん!」

作ったサンドイッチは想像以上に好評だったのです。

思い立ったらすぐ行動をする紀子さんは、周囲から後押しされたこともあって、シェアキッチンでサンドイッチ屋を始めることに決めました。

2019年7月26日。
紀子さんの原点となる「MALU。」が千代田区神保町にてスタートしたのです。

「スムーズに物事が進むので自分でも驚きましたが、せっかくの巡ってきたチャンスだったので挑戦してみようと思いました。そして、何より美味しいと言ってもらえたことが嬉しかったんです。」

しかし、店をオープンしてから約1ヶ月。
突然、シェアキッチンのオーナーと連絡が取れなくなってしまったのです。

株式会社MALU設立

突然のことに戸惑いましたが、悩んだ末に新たなシェアキッチン「FORT MARKET」で再スタートを切ることにしました。

2019年12月6日。
三軒茶屋にて「MALU。-パンと野菜のお店-」のスタートです。

「せっかくいい粉にも巡りあえて、福岡まで研修に行ったのにここで諦めるのは勿体ないと思って。何より、「35歳までに経営者になる」と断言した以上、私には迷っている暇はなかったんです。」

いつかシェアキッチンではなく、自分の店を構えたいと思っていた紀子さん。そんなとき、知人から物件を紹介してもらえることになったのです。

「想像より広いスペースでしたが、設備も整った素敵な厨房に、やってみたいことが頭の中を駆け巡りました。」

「35歳までに、パン屋のオーナーになりたい。」と口にしたあの日から15ヶ月後の2020年1月30日、ついに「株式会社MALU」を設立し、「MALU。-パンと野菜のお店-」を荒川区に移転させたのです。

新しい場所での再出発と同時に、サンドイッチに加えて、『まるいしょくぱん』の開発や、他社製品の卸業も開始しました。

一度決めたことはとことん追求するのが彼女の持ち味。
趣味で始めたパン作りが、段々と会社を設立するほどの情熱に変わっていきました。

居場所を作ってくれてありがとう

荒川区で営業を始めてすぐの2020年4月6日、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令され、世の中が一変。

資金に余裕がなく、くじけそうになることもあったという紀子さんですが、かつてのパン屋時代の同僚が助けに来てくれたおかげで、なんとか店を続けることができました。

地域のイベントにもたくさん出店し、八百屋の同僚たちも販売のお手伝いに駆けつけてくれました。

「できることは何でもチャレンジしました。」と話す紀子さん。

ホテルに卸す食パンを焼いたり、カフェで販売するクッキーの生地を作ったり、サンドイッチ用のバンズも焼きました。冷凍ハンバーグや照り焼きチキン、カレーなど、他社の通販事業のお手伝いなど、卸業の方でもたくさんの経験をしたそうです。

また、店頭では週末のみ大阪泉州の野菜を販売していました。

「たくさんのお店がある中、わざわざパン屋の軒先の野菜を求めて来てくださるお客様がいることに驚きました。『おいしい』という感動は、人の心をこんなにも動かすのかと実感するとともに、このおいしさの理由も知りたくなったんです。」

色々な活動をする中で、今後のMALUの進むべき方向について考えていた彼女。
そんなとき、大阪にいる家族に少し元気がないという知らせが届きました。

「農業を続けるかやめるか、そんな選択肢が家族会議にあがったのは、初めてでした。」

「自分がMALUを続けているのは、パンというツールで「農業」や「野菜」とお客様がつながる場所を作りたいから。そのルーツである家族が元気がなくては意味がないじゃないかということで、大阪へ帰ることを決意しました。」

2022年1月16日、店を移転してちょうど2年が経った頃に「MALU。-パンと野菜のお店-」を閉店することに決めたのです。

「MALU。-農家のえんがわ-」をオープン!

大阪へ帰ると同時に、会社もたたむことを考えたという紀子さん。

「ある日、常連のお客様に聞いてみたんです。『もし、ここがパン屋じゃなくても出会えてたと思いますか?』って。するとその方は『きっと何屋さんでも来てたと思います。』と言ってくれたんです。」

ツールにこだわらず「人と人をつなぐこと、つながる場所をつくることが自分の使命なんだ」と強く感じた、すごく嬉しい一言でした。

 

その頃、現在パートナーとして一緒に仕事をしている料理人の岩本さんと親しくなりました。

「MALUのこれからについて毎日話す私に、『自分も力になりたい』と言ってくれたんです。
1年後、大阪で一緒にお店を始めることを約束して、私は1人で大阪でのMALUの活動をスタートさせました。」

実家である縣農園で仕事をしながら、週末は「アグリイノベーション大学」でも農業について学んだ紀子さん。マルシェに出店して野菜の販売をしたり、地元の方と繋がるためにいろんな場所に足を運びました。

そんなある日、ご近所の方に素敵な古民家の物件を紹介してもらい、「ここでお店させてください!」とすぐさま決断。

約束通り、1年後の2023年6月16日、大阪へ引っ越してきてくれた岩本さんと一緒に「MALU。-農家のえんがわ-」というおばんざい屋さんをスタートしました。

「土鍋ご飯のおにぎりや、だし巻き玉子、地元野菜のおばんざいがメインです。今後はサンドイッチなどもならべられるようになりたいと思っています。」と紀子さんは話します。

「地元農家さんが作った野菜を地元の方にたくさん食べてもらう機会を作り、体験農園MALUファームで農に触れる機会も、もっともっと提供していきたいです。」

無駄なことなんて何もない

教師を辞めてから、今まで色々なことに挑戦してきた紀子さん。

「きっと、あなたは農家なの?パン屋なの?って思う人もいると思います。だけど周りを気にして型にハマらなくてもいいのかなって。結局は自分の考え方次第だなあと思えるようになったんです。」

ある日突然、全てをリセットして未知の世界に飛び込んだ紀子さん。

彼女は、諦めずに自分の夢に向かって進む勇気、そしてそれがなんであっても「やってみる」ことの大切さを教えてくれました。

「無駄なことなんて何もない」

失敗は必ずしも終わりではなく、次に進むステップなのかもしれません。

「将来の夢は、屋久島に2階建てのログハウスを建てて、自分で育てた小麦や野菜を使ったパンを売ることです。」

「おいしい」を通じて、畑と土と人と地域がまるっとつながる、そんな空間を目指して、紀子さんの営む農家のえんがわは、地元の人に愛されるお店となっていくのでした。

MALU。-農家のえんがわ-


大阪府貝塚市
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