「TOMOパン」古川ひかりさん

地元への恩返し。

京都府宇治市白川、宇治駅から車で10分ほど離れた自然に囲まれた場所に、「TOMOパン」があります。

時刻は午前10時半、店内は焼き立てのパンの香ばしい香りで満たされています。
オープン前の忙しい時間にも関わらず、店主の古川ひかりさんが温かい笑顔で迎えてくれました。

店名の「TOMOパン」は、彼女の夫である「トモヒロ」さんの名前からきています。また「友達のトモ」など、「大切な人やモノと共(トモ)に」という温かい想いを込めて立ち上げられたお店です。

店の看板に描かれた緑と白のキャラクターには、「TOMO」の文字が隠れています。「店を始めるときに知り合いの焼き鳥屋の大将が書いてくれたの。かわいいでしょ?」と、ひかりさんは嬉しそうに教えてくれました。

日本語講師の夢

ひかりさんは短大を卒業後、日本語日本文学を学ぶための専門学校に通っていました。昔から語学に興味があり、外国人に日本語を教えるという夢を持っていたのです。

しかし就職活動中に、ある試験官から「君のような専門学校を卒業したばかりの若い子に誰が教えて欲しいと思うの?」という言葉を受け、その夢が遠のいてしまいました。

初めての日本での孤独な生活。外国人留学生にとっては、日本語だけではなく人生の相談にのってくれる人を講師にしたい。そんな中、社会経験のないひかりさんがその役を勤めるには、経験が足りないというものでした。

「悔しさのあまり、ボロボロ泣きながら家まで帰ったんです。だけど、試験官の言葉にはすごく納得してしまって。」
悔しさを感じつつも、ひかりさんは試験官の言葉の意味を理解し、新たな道を模索し始めます。
たまたま商工会議所の広告が目に留まり、そこで社会経験を積むことに決めました。
そして、商工会議所での生活の中で、今のご主人と出会い退職。
ひかりさんの人生は新たな方向へ進んでゆくのです。

初めてのパン教室

昔から、パンが大好きだったひかりさん。
結婚後は旦那さんの地元、宇治の里山白川に移住し、専業主婦としての日々を子育てとともに過ごしていました。

慣れない子育ての中、二人目の子供が幼稚園に通うようになると少し自由時間ができました。そんなある日、ひかりさんは、かねてからの憧れであった「パン作り」に挑戦することにしました。
「なぜかパン作りに憧れがあって、ただただ習ってみたかったんです。」
彼女は近所に住む友達を誘って、近くのパン教室に参加しました。
「レッスンがすごく楽しくて、なにより焼きたてのパンがもちもちで本当に美味しくって。」

パン作りの楽しさを知ったひかりさんは、家に帰ったあとも、習ったレシピをもとに家族や友人にパンを焼きました。
そのたびに、みんなが「美味しい!」と言って食べてくれることに喜びを感じた彼女。

そこから、徐々にパン作りにはまっていったのです。

パン講師への道

パン教室に通い続ける中で、ひかりさんの思いは徐々に変化していきました。
最初は趣味で通っていたパン教室でしたが、パン作りへの熱はどんどん増していき、いつしか「パン教室」を自分で開きたいと思うようになったのです。

「専業主婦をしながら、きっと心のどこかで『何かしたい!』という気持ちがあったんです。」

「自分は、誰かの元で働くのは向いていないと思っていて。それなら、大好きなパンを仕事にしてみたいと思ったんです。もしかするとずっと専業主婦だったので、社会人に戻る勇気がなかったのかもしれません。」とひかりさんは話します。

会社に属するのではなく、自らの手で道を切り開くことを決めた彼女。
まだ小さい子供たちを抱えながら、パン教師の資格試験を受験しました。

「妹が一緒についてきてくれて、試験の間は子供たちを見てくれました。そして休憩時間には、車に戻って授乳。家族の支えがなかったら絶対に挑戦できていませんでした。」

ひかりさんの新たなチャレンジの裏側には、家族の理解がありました。

「夫も何も言わず応援してくれました。きっと、一度やると言ったら絶対に曲げない私の性格を分かっていたんだと思います。」

パン教室

パン講師の資格を取得したひかりさんは、念願だったパン教室を自宅のキッチンで始めました。

「自分がパン教室に通っていてすごく楽しかったので、その楽しさや、焼きたてパンの美味しさを色々な人と分かち合いたかったんです。」

ひかりさんが初めてパン教室に通ったのは、今から18年も前のこと。
今でも、新しいメニューを学ぶため、当初と同じ先生の教室に通い続けています。

「自分も講師をやっているので、自分本位で教えてはいけないなあと思っていて。」と語るひかりさん。

「年齢を重ねると、教えを乞うことが減ってくると思うんです。私にとって、人生で『先生』と呼べる人がいるのはありがたいこと。生徒の気持ちを忘れないためにも、常に学び続けていたいんです。」

パン屋オープン

パン講師を初めて2年が経ったころ、ひかりさんの生活にも変化が訪れました。3番目の子供が幼稚園に通い始めたことを機に、新しい夢への一歩を踏み出すことに決めたのです。

それは、自宅のキッチンを改造し、パン教室を続けながら、パン屋をオープンすること。

「教室で生徒たちにパン作りを教えているうちに、自分の中のパン屋への夢がどんどん大きくなっていったんです。」

自分が心から大好きだと思えることを、さらに仕事にしたいと思ったひかりさん。
心の中にはずっと、パンへの強い情熱があったのです。

友達にパン屋を始めようかと相談したら、「やってみたら?」の一言。

「たとえ社交辞令だったとしても当時の私はすごく背中を押されたんです。」

やると決めたら最後まで曲げず、とことんやるのが彼女の持ち味。
家族や友達からのサポートを受けつつ、月に1度だけのパン屋「TOMOパン」がスタートしました。

地元への恩返し

TOMOパンに来るお客さんのほとんどは、地元白川の人。

ひかりさんも、白川には強い地元愛がありました。

「パンがもっと売れるように、駅近の便利な場所に出すのが商売として本当はいいと思います。だけど、ここでパン屋を開くことで、少しでも白川が有名になればと思って。」

地元の人の暖かさや距離の近さが、居心地がいいと話すひかりさん。

彼女にとって、ここでパン屋をすることは、子供たちと共に育った白川への恩返しでもあるのです。

そんな彼女の想いは、商品にも反映されています。

店の看板メニューである「白川納言」は、抹茶の風味とほんのりと甘いあんこが特徴です。
材料には、地元の特産品の手摘みで収穫された宇治抹茶を使用しています。

「地元の食材を活かしたいと思って、このメニューはオープン前から作ろうと決めていたんです。」

ひかりさんの地元愛は、商品だけには留まりません。

「白川は田舎だから、子供がお遣いに行ける場所が無いんです。だからこそ、子供たちが1人で安心してお店に来られる環境を作れたらなと思って。」

子供が小さかった頃、同じような想いに悩んでいたと言うひかりさん。

「先日、小学生の常連さんがお財布を持って一人で買いに来てくれたんです。自分のパンと、ママのパンを一生懸命選んでいて。」

ひかりさんにとって、地元の子供たちにお遣いに来てもらうことは、お店をオープンした時からの夢だったのです。

「夢を叶えてくれてありがとうと、感謝の気持ちでいっぱいでした。」

心を込めて焼き上げる

現在「TOMOパン」は、週に2回の営業です。

「本当は2日以上オープンしたいんだけど、準備に時間がかかって。一つひとつ心を込めて焼き上げているので2日間が限界なんです。」と話すひかりさん。

自分の中での「一番」を提供したいという強い思いから、生地を一つひとつ分けて作っています。

「同じ生地で作ると、どことなく後ろめたさを感じてしまうんです。お客さんに胸を張って提供したいので、『心のしんどさ』より『体のしんどさ』を選んでいます。」

現在、パンの種類は全部で20余種類ほど。
お客さんの要望に合わせて種類を増やしていった結果、現在では焼き上がるパンの数がオープン当初の数倍に増えたそうです。

「お客さんが減らない限り、パンの種類を減らす予定はないんです。この方法は商売としては正解じゃないけれど、体が持つ限り、妥協しない方法で頑張りたいなって。」

「死ぬ時に、『幸せだった!』って胸を張って言いたいんです。後悔がないように生きることが、私の人生の基本なんです。」

ひかりさんの作ったパンを目指して、買いにきてくれる人がいる。
だからこそ、お客さん一人ひとりの顔を思い浮かべながら、彼女は心を込めてパンを焼いていくのです。

『無添加』へのこだわり

パンの材料は、小さい子供でも安心して食べられるように無添加の材料を使用しています。
その背景には、ひかりさんの子供の頃の経験がありました。

「小さいころは無添加の食事が中心で、駄菓子や知育菓子を食べた記憶がないんです。」

そう話す彼女ですが、我が子には「あかん!」と否定しないように気をつけています。

それは、子供心に「あれが食べたかった」という小さなフラストレーションが積み重なることを避けるため。彼女は、子供たちに何が良くて、何が良くないのか、その理由をしっかり伝えることを大切にしています。

「なぜその食べ物が身体に良くないのか理由をしっかり伝えた上で、選ぶのは子供です。選択肢の一つとして私の考え方を伝えていて、自分で『選択する力』をつけてほしいんです。」

パン屋が繋ぐ出会い

1年ほど前から、友達の紹介でイベント出店をしているひかりさん。人が集まる場所が好きなひかりさんにとって、新しい出会いはとても大切な時間です。

「私にとって出会いは財産。」と話す彼女は、出店者や主催者、お客さまとのご縁を大切にしています。

「TOMOパンのパンが食べたい!と言ってもらえることが嬉しいんです。」

パン屋をしているからこそ、出逢えた人がいます。

「コロナワクチン接種後に、体調を崩してしまったけれど、TOMOパンのパンだけは喉を通ったと言ってくれたお客さんがいたんです。パン屋を通して、改めて人の温かさに気付かされました。」

自分ができる範囲で、ゆっくりと

将来の夢はカフェをすることだと語るひかりさん。

「店を大きくするつもりはありません。自分ができる範囲で、ゆっくりとやるのが身の丈に合っているんです。」

彼女が目指しているのは、毎日の食卓に欠かせない、日常に寄り添えるパン。
古川ひかりさんが営む「TOMOパン」は、地元の人々に愛される、心温まる場所となってゆくのです。

 

TOMOパン


京都府宇治市白川
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